「世界の真理」-11/9の日記(短編付き)
書くことはあるけど、なんか散文が書きたい気分。ある程度日記書いたら書くよ。ちょっとした小話を。
久しぶりに休みが1日しかない生活になると、曜日感覚が狂ってしまう。朝起きた時、なぜか日曜日の気分でいた。その気分で弁当を作るのだから、まあ変な心持ちだ。
土日のいずれかを部活に捧げるのが当たり前だったのに、こんな、週休2日に慣れてしまうなんて。土日って、こんなに素晴らしい制度だったのか……というありがたみを忘れて生きようとしていた。とんだ馬鹿野郎だ。
追試、友人らのお陰でサクッと終わらせることが出来ました!本当にありがたかった。きっと1人だったら、自暴自棄になっていただろう。友人のいることの素晴らしさを改めて実感した。
こんな風に言うと、実際には益しか考えていないように思われてしまいそうで嫌なのだが。
そんな益だけで選べるのなら、友人らとは友人になっていない。そもそも、損得勘定で友人を選べるか?利用価値ということならば、その観点で付き合う人間を見るならば、その関係性を友人だ、とはとても呼べないだろう。
何が言いたいんだ。
お腹空いた。
あ~~~。
散文を書きます。リハビリです。うぇっ。
意味なんてないよ。勝手に探しておいて。
むだいと
この世界には、掴まなければいけないとされる事象が多すぎる。それら全てを捉まえたとして、いったい何になるというのだろう。例え手の内に森羅万象があったとして、そのかき集めた玉石混交たちにどんな顔をし、心をくべてやればいいのか。キョトンとした純粋無垢たちは、個々が恐ろしい光を放ち、抗いがたい欲望を燻らせている。きっととても、人間なんかが抱えきることなんて、出来ない。
神に触れられないのは、人間が穢れて生きていくための代償だ。永久に純情で生きていくか、全てを知ってそれでもなお、穢れずに生きていくか。そのどちらも、人間には選ぶことができない。
それに手を伸ばすその動作すら、行う知能がない。そう作られているから。それを求めようとした、その感情の主は本当に、私なのか。希釈された脳みそがやっとの思いで考え、指先が空を叩く。そう、私たちの悪足掻きとはとんでもなくちっぽけで、チャチな代物。
人間になるために、穢れるために、私たちは生を受けた。神は何処にもいない。そう、どこにも。私たちは彼らに背いて、彼らと繋がる糸を断ち切る代わりに、母の胎の緒と結び付けたのだから。
いわば私たちは反逆者だ。崇高で貴い彼らから、有限の美を探そうと、永劫の安寧を絶ちきった。
さあ、ところで愛って何ですか。恋って何なんだ。人生って、何だ。神なんてものを捨てた私たちには、救いなんて甘い寄り道はない。茨だなんてありふれた痛みは蔓延しきって、揉みに揉まれてみんな血だらけだ。その血痕を擦りつけ合い、その染みから引き攣れた皮膚のしわで、笑いのようなしわを彫り付けている。限りあるものが全て美しいなら、どうして私もあなたも綺麗に映らないんだろうか。いつから、私たちはこんなにも汚くなってしまった、と感じるようになったのか。
主演も、エンドロールも演目も何もない劇場は今日も虚しくスポットライトを灯した。舞台上でゆらゆら揺れる肉塊が、糸にふらふらと操られたりしながら、彫り付けた顔を並べ。大量の糸をどこからかびっしりと垂らしながら、おびただしい血だまりはドロリと流れ続ける。そう、この舞台に立つのは私たち。
穢れた私たちは、無駄な糸を消費し続ける。そこに、何のタイトルが付いていなくとも。
*
気が向いたらまた書きます。
ではまた。
めっちゃ喜ぶのでよろしくお願します。すればするほど、図に乗ってきっといい文を書きます。未来への投資だと思って、何卒……!!