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【戦後のインフレに⽴ち向かった男】石橋湛山

石橋湛山は昭和31年(1956)に首相になりました。

しかし、わずか2ヶ月後に辞任します。

病気が原因ですが、その潔さは当時の評判でした。

最近、なぜ戦後日本から大量の餓死者を出さなかったのかと、考え、また石橋湛山が当時の蔵相である事を知った時、この人物の財政政策に興味が出てきました。

終戦直後、日本の経済は崩壊寸前、いや崩壊していました。

この時の財政政策の基本は復興金融金庫(通称フッキン)と傾斜生産方式です。

この政策のおかげで戦後猛烈なインフレになります。

もし、このインフレにならなかったら(あるいは、なかったら)どうなっていたでしょうか?

日本の経済は崩壊し、予想通り1000万人の餓死者が出たのではないかと、予想されています。

インフレになる、と、企業は物を作ります。

とにかく作れば売れる、儲かる、となると、物はどんどん作っていきます。

企業は生き残るために、そこらへんの資源をかき集めて生産します。

眠っていた生産力を復活させます。

第2次世界大戦でどのくらい日本の工業力が破壊されたかは、人により評価は違いますが

かなりの生産力が遊休状態にあった状態です。

復活金融公庫から債権を出させそれを日銀引き受けにして通貨量を増大させて、生産を賦活する方法をとった政治家が石橋湛山です。

石橋湛山年表

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