2023-10-01

本来的には出張の予定だったのだけれど、精神があまりにも摩耗していたので取りやめることにした。バカンスをして心身を休めたいと言っていたら友人のナナシマさんが自分の住んでいる町に来ないかと誘ってくれて、出張のかわりに行くことにしたのだった。

とはいえ遠方といってよい距離なのでわたしとしては非常に早く起き、電車を乗り継ぎながら向かう。そのあいだに文献を読むことができるのもよかった。近くに座っている人たちが駅からの景色の話をしながら降りていくのを目で追うと、一面の海がまぶしい。根府川駅。ひとまず、ある程度形になるまでに必要なステップをおおむね洗い出すところまでいって、ささやかながら重要な進捗を得たといえるでしょう。いえ、言わせてください。

昼食はナナシマさんと入れ替わりで帰宅する同居人Mとさわやかする。いままでにひとりで行く機会は作ればあったのだけれど、おいしいものを食べるときに気分の高揚を口に出せないともどかしく、結局行ったことはなかった。長い待ち時間をつぶすのに、ナナシマさんがおいしさを知ってほしいと当地のおすすめのお菓子を買って渡してくれたりする。量としてはたっぷりあったのだけれど、手が止まらなくて瞬く間になくなってしまう。

さらにこれは絶対に食べてほしいという洋菓子店へ。長く歩くと雲が厚く垂れ込めていて、東京と大差のない暑さ。古くからの個人店もちらほらと見られて、そこが町であった歴史の長いところだとわかる。ショーケースに並んだケーキのデザインの繊細さからふくらむ期待を裏切らない、というか超えてくるおいしさ……。数種類の小さなスイーツを少しずつ食べるメニューで、選んだものに合わせてそれぞれ盛り付けが違うところからはじまり、その場その場で、くるみの苦味とホワイトチョコの甘みといちごの酸味と……など繊細な味の組み合わせに感嘆することが口をついてやまない。ひとりで食を楽しんで回る人たちのなかに食レポを書く人がいるのは、すばらしい食事に出会ったとき、そのたびごとに駆け巡る味や風味への感嘆を自分のなかに留めておけない気持ちになる、ということなのかもしれない。

店を出ると暮れる晴れ間が見えていて、ナナシマさんが虹、と言う。すこしだけ立ち止まって、そこにあると言われなければ気づかない微かな虹を消えるまで見る。ナナシマさんの家に戻るまえに少しだけひとりになって海のほうに歩く。海が見えてくるとなつかしさが湧いてきたけれど、これは映画のなつかしさ。『きみの鳥はうたえる』や『さよならくちびる』で見た函館のなつかしさ。暮れ切るまでの水辺を歩き、ナナシマ邸へ。

薬局や地元のスーパーをいくつか回って夜の支度をする。上澄みをすくっているだけ、と言われればそうなのだけれど、友達の住んでいる町に行くとそこでの生活をほんのわずかになぞることができる。家は生活を映すから、友達の家に行くのが好きで、歩けば町もそうだと思った。

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