2023-05-19-20

ひどい希死念慮。生活リズムから二限のTAに間に合わないと踏んで、起き続けていたのでなおひどい。眠らないことにしたので、食事を作ってしまう。根菜と松山あげのスープ、かぶのアンチョビ炒め、夏野菜の和風コールスローなど。コールスローは外で食べたものの再現なのだけど、去年のものなのでもとのレシピに酢が入っていたのかどうかおぼつかない。

TAで授業の進行をするときは自分の暗い感情が表に出てこないし、人の興味のあることを聞いて話すことは好きなのですこし持ち直す。学部生の人たちが親交を深めるために食事をするところを探していていいね、と思う。コロキウムに出られそうではあるものの、体力が限界のところでずっと座っていると気持ちが落ち込んでくるのは目に見えていて、逃げ場のない環境でそうなるのは避けたい、ということで帰宅。今年は去年までとちがって某氏の発表回以外はボイコットするつもりはないのだけれど、出張と重なったり体調が悪かったりといろいろタイミングが合わず、なかなか思うようにいかない。

家として位置づけられた場所は希死念慮を育てるのに向きすぎている。高島鈴に死にたくなったらいつでも来ていいと言われていたことを思い出し、連絡を取る。仮眠をして泊まりの準備をする。わたしは気づいたらいるぐらいの頻度でいると言われているが、今月はまだこれで1泊目。

家から高島邸まではすこし遠く、複数回の乗り換えを挟んで20駅ほど行ったところにある。とはいえ音楽を聞きながらぼんやりしたり、本を読んでいるとそう長くは感じない距離ではある。のだけれど、希死念慮に耐えながら向かっているからか、駅をいくつ過ぎても残りの駅が減らないし、それぞれ2分ほどの駅間も倍以上あるように感じる。じりじりと伸びていく時間を耐えるしかないところを乗り切って、なんとか高島邸に到着。

高島鈴と顔を合わせて、希死念慮が穏やかになるのを感じる。また別の友人に高島さんの家にいつもいない?と言われたりもしているのだけれど、今回はおおよそ3週間ぶりの滞在。お茶を飲みながらおしゃべりをして、だいぶ気持ちが落ち着いてくる。喋りが止まらないと見たタイミングで高島鈴がわたしを風呂につける身振りをして、溺れる素振りで応える(あぶくを上げて沈んでいく、ひとしきりもがいたあとに足がつくのに気づく、など)というのがわれわれのいつもの茶番なのだけど、今回はめずらしく自主的に入浴。居間ですこしうとうとして就寝。

起床後すこしぼーっとして、朝ごはんをいただき始業。午前中に始業するのはわたしの生活習慣からするととてつもなくすごいことです。来る途中に買い込んだ惣菜を一緒に食べたり、高島鈴の物欲を応援したりなどをはさみつつ、ときどき鳴き声をあげたり呻いたりしながら時間をとればすぐ終わるのだけれど元気がなくて時間を取れなかった類の仕事をすべて(!)片付けて、返せていなかった連絡もひと通りすませてしまう。あらゆる連絡を返すのが苦手なのだけれど、周囲の寛大さによってなんとかやっていけている、と思う(発達特性が噛み合わない人間が周囲の寛大さによってしか生き延びることができないのであればそれほど理不尽なこともないのだけれど)。ずっと自分の頭の片隅を占めていたものが片付き、晴れやか。

夕方に高島邸を辞去して、この夏に自分に許している数少ない物欲(バケットハット)の遂行のため、古着屋へ。目当ての帽子の目当ての色はなかったのだけど、サイズが合うことを確認できたのでネットで購入。形のよさもさることながら、サングラスを置けるようになっているのがとてもありがたい。表参道は東京の苦手な街のひとつで、横に聳えるきらきらしいウィンドウの数々から目を逸らして、街路樹に意識を向けることで穏やかに歩いていけるようなところがある。原宿から坂をのぼってぼんやりといつも曲がるところが見つからないと思っていたら目的地の対岸を歩いていた。

帰宅、リングフィット、殴打。文フリに既刊を出すことが決まり、家にわずかにある在庫をひっぱりだす。告知。これらの準備が後手後手になっているのは完全にわたしのせいです、が、なんとかこの場所を続けていきたい。

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