2023-08-14-15

自分が生きているということがだんだんゆるせなくなってきて(この感覚はほとんどつねにあるのだけれど、ことさらに顕在化して)、死ぬ準備をほとんど完全に整えていた今年の四月の日のことが思い出されてならない。終わらせなけらばならない仕事はあるけれど、家でなんとかすることも家を出ることもどちらもできずにいた。このところ口にするものは低血糖にならないぎりぎりの糖質——たとえば塩分タブレットなど——だけだったせいか、口の端が切れている。目が覚めてから数時間経つころ、なんとか食事をすることができた。ボイスチャットに高島さんがいたので少しだけ話して、高島邸での仕事を提案してくれたこともあり、下北沢で集合して高島邸に行くことに。

ゆっきゅん&君島大空『プライベート・スーパースター』。「僕は存在したい 世界の電気を消して/誰も来ない部屋で誰も来ないでって叫んだ//読めない小説 観ない映画のフライヤーに/衝動は飛び散ってく炭酸 光の色も知らないダンサー」。2017年、2020年、そして2024年。底なしの鬱のただ中にあった複数の時期の自分と重なって、電車の中で目の奥が揺れていた。

珉亭に行ってみたかったのだけれど、20時を回った下北沢で飲みではなく食事をするお店は思った以上に空いていないのだとわかった。あてもなくさまよっていたところで2時まで空いている台湾料理の店に転がり込む。空芯菜、大根餅、ひさびさの外食の沁みること!うだるような暑さの夜に飲む台湾ビールは当地に似てことさらにおいしい。

高島邸に着いて、座って、それぞれ入浴して寝る準備ができたあとも、とりとめもなく喋っている。安心できる場所(長らく自分の家ではない)で人ととりとめもなく喋り続けることが自分には必要だった、と思う。仕事に圧倒されていたのに加えて、自分の言動によって相手が交友に見切りをつけていた、ということがこのところ立て続けにあり、人間関係とはそういうものなので仕方がないのだけれど、それでも指摘されたのは(つらくとも言ってもらえるのはありがたいのだけれど)比較的余裕のあるときであればましであったり顔を出さないでいるような自分の嫌な部分だと感じて、そしていまのような余裕のなさがあと数年は続くとも感じていて(だからなおさら自分がゆるせず)、ひどく堪えていたのだった。高島さんが席を外して一人になったとき、不意に、喪失の季節のただなかにあると感じていたけれど、だとしても、わたしはいま手元にあるものしか関わる/扱うことができないのだと気づく。大事に、丁重に、軽々しく、親しげに——どのような仕方であれ、自分の手元にないものは扱うことができない。無下にすることすらできない。離れていった人たちはいずれもわたしにとって重要な人たちだったけれど、もはやどのようにしても関わることができないのだった。だがしかし、それによってわたしのもとにある交友関係が無になったわけではなく(その人たちとの交友の記憶もまた)、友人たちと何度でもたのしい時間を過ごすことができるし、それは続いてゆく。いま高島邸でこうして喋っていることが、そのことを確かなものとして信じさせてくれた。

4時を回った頃に眠りにつき、何度か目が覚めて気づいたら14時になっている。あわてて食事をして、夕方にさしかかったころに仕事をはじめる。夜のうちに高島さんに勧めてもらってCANMAKEのY3Kネイルを爪に塗っていたのだけれど、爪に偏光パールやラメがついていることがただただうれしい。博士課程に上がってから気持ちに余裕がなくて、自分で爪を塗るのは3-4年ぶり。しばらく触らないうちにCANMAKEのハケの形が塗りやすいものに変わった気がする。仕事のほうは数年ぶりにExcelの数式を扱い、さまざまな詰みを体感し、半泣きの状態になったりしながらも、なんとか終電に余裕をもって終わらせることができた。帰宅するとまもなく雨音が聞こえはじめる。

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