2024-02-06

日付が変わる前の雪の日をほとんど眠っていたので、日付が変わってから雪の中を歩きに、そして買い物に出る。空気が十分に冷たくて、踏まれていない雪がさくさくと残っていた。それがうれしくて、踏まれていない雪が残っていそうな道を選んで、家のまわりを一時間ほど歩く。雪の記憶のほとんどは戸籍によって結びつけられた怒りの地にある。雪国と言うには及ばないけれど、そこでは深ければ膝下まで雪が積もった。忌々しい場所だったからこそ、雪が音を吸い込む静けさ、積雪時独特の湿り気を帯びた寒さ、雨のそれを薄めたような埃っぽい寒さの匂いがより一層なつかしいのだと思う。東京の雪は水っぽく、落ちるそばから溶けては足を濡らすばかりだけれど、それでも雪はなつかしさだけが残った景色を瞼の奧に映し込む。

眠れずに朝が来て、諦めて食事の支度をする。食費が安く済むからということで主食のほとんどを米で賄ってきたのだけれど、最近はときどき朝食にイングリッシュマフィンを焼くなどしています。思い立って半分に切って中に挟む具と一緒に焼いて、そうするとサンドイッチとハンバーガーの間を取ったような食べ物になってとてもおいしい。こういうところから生活が始まるのだと思う。はるか昔にわざわざ国の名前が課されたパンをめずらしく思って食べたときは素のまま食べたので、どうしてこんなにおいしくないものが朝食の定番として扱われているのか不思議で仕方なかったけれど、本来の食べ方に辿りついて腑に落ちました。これはよい朝食です。

外に出る支度をしていると、書き出せずにいた詩の書き出しと全体像が突然目の前に閃く。詩歌を書いているときにだけ目の奥で弾けている光があって、ここ数ヶ月、それを見ることは二度とないのかもしれないと思っていたので、喜び、安心、期待……の怒濤。その発火する興奮は死体のように生きている自分を現実に繋ぎとめるものであり続けてきたものだった。またしばらく歩き、歩いて、ぼんやりとしていると、涸れきった胸の水位がふたたび満潮に近づいてゆくのがわかる。雪は大方溶けていて、帰りは平坦だった。

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