Candy House

インターネット業界。営業を経験したのち経営企画へ。役員に翻弄される毎日を過ごす。 20…

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インターネット業界。営業を経験したのち経営企画へ。役員に翻弄される毎日を過ごす。 2020年新たな生活を求めて、東京と関西での二拠点生活を始める。ことにした。モノカキになる夢を持ち続けて。 関心領域:ジャズ、アウトドア、USCPA、海外駐在、関西、株取引、料理、台湾

最近の記事

文章を続けるのって難しいなって言う話

何だか最近は、在宅勤務が心地良過ぎてずっと前から会社など行かず、昔から在宅勤務だったんじゃないかって錯覚するくらいにはなって来ました。 まあ来週から通常勤務始まるんですけどね・・・。(吐きそう) 3月くらいに。実は毎週noteを書いてコンテンツをアップするという計画を立てていました。が、やっぱり続かないもんですねー。この有様。ほとんど人にも見られてもいないと思いますが、ふむ。 ところで突然ですが、、、最近米国会計士の勉強を始めました。 元々経営企画で管理会計をやってい

    • 大阪はますますローカルに近い

      昔、親に連れて行ってもらっていた旅行の思い出は和歌山だった。 中々旅行などは行かない親だったが、泳ぐのが好きだった私を連れてくれた白浜だったり。和歌山は家族旅行の思い出の場所だった。 大学に入ったときは、東京出身の友人を連れて白浜に行ったり。 程よい距離感。 大阪から南紀エリアには約150km。 東京で約150kmと言えば、静岡(山梨)の富士山周辺。 長野方面で言えば軽井沢周辺 東北方面で言えば那須高原なのだが。 大阪からの150kmにある南紀は異様に秘境感が

      • 二拠点生活と東京

        少し間が空いてしまった。 東京というのは独特の街だと思う。 私は東京は過ごしやすい街だと思っている。 田園都市線沿いに住み、家の近くのIT企業で働く。 遊ぶときは渋谷や三軒茶屋で飲む。 都会の中でも少し落ち着いた雰囲気の場所に住み、少し電車に乗れば世界有数の街に出る。こんな感覚。当たり前だけど日本では東京以外に味わえない。 東京は首都。 そして東京は働く場所。 東京で一番好きな食べ物は、しぶそばのきつねそば。 立ち食いで食べるのがいい。 少し良いものを食べ

        • 関西飯が食べたいとき①

          ということで、関西に勢いで来てしまったのですが。 よく言われることではありますが、関西と関東の飯ってやっぱり違います。 何が違うの?? 出汁の味? 確かに、関東は基本的に硬水なせいで、出汁が出づらく醤油の味が発達したみたいな話があります。一方で関西は鰹や昆布を使った出汁文化。私も出汁の味が東西の味の違いだと思っていましたが、、、 しかし、私は今になって思います。 関西飯は満腹感。お腹いっぱいにしてあげたいっていう気持ちに溢れてるように思うんです。 健康的には、、

        文章を続けるのって難しいなって言う話

          二拠点生活を目指す旅-奈良に行った-

          コロナウイルスって、精神的にも抑制する何かがあると思う。 それは自分が日本人だから?協調が根付いた国民性のため? よく分からないけど、気持ちは東京から出たい。だけど周りの目が気になる。そんな日が続いていた。 東京は6月1日。所謂ロックダウンが緩和されステップ2に移行。何だか意味があるのか分からず空虚な印象を持ちつつ。 私は2月に、昔から大好きだった大叔母を亡くしていた。大叔母は奈良の自宅で孤独死していた。昨年癌が見つかり手術を受け一命を取り止めたはずだったのに、すぐに

          二拠点生活を目指す旅-奈良に行った-

          過去と未来

          簡単に自己紹介をさせてください。 ・1986年兵庫県生まれ ・父親の影響で物心ついたときからジャーナリストを目指し始める ・大阪の私立中高一貫校に通学、バンドと体操競技に時間を費やす ・一浪ののち、2006年京都大学経済学部に入学 ・ジャーナリストを目指し就職活動をするも挫折、一年の留年 ・2011年インターネットサービス系企業に入社 ・ブラック環境での営業で、名古屋、金沢、大阪と7年間広告営業を行う ・大阪で戦略的取り組みにより、組織のパフォーマンスを上げた

          過去と未来

          やはりと言うべきか実はと言うべきか

          2020年というのは転換点になる。 私たちはいま転換点から新たな「未来」に向けて少しだけ進んだ時を過ごしている。 6月より二拠点生活を始めた。 やはりと言うべきか実はと言うべきか、東京での自粛生活は肉体的にも精神的にも想像以上に疲れをもたらしていた。ロックダウンが緩和されたタイミングで、私は夜行バスに乗り大阪へと向かった。 そこから約3週間、東京の会社に勤めながら大阪で生活をしていた。 こちらのページでは私の二拠点生活について記録しようと思う。

          やはりと言うべきか実はと言うべきか