見出し画像

私と本のおはなし

昨年からのコロナ騒ぎの中で、今時の子供たちの毎日の生活はどうなってるんだろうってよく考える。子供たちの、運動会、遠足、そして公園遊びをできなくなったりで、不自由だろうなあと思うが、それは老婆心なのかも。コンピュータがあればそんなに他人と関わることもなく、その方がいじめもなく楽なのかもと。

私の幼い頃はラジオと本が基本だった。母がミシンで縫い物をしている時にはラジオがつけられていた。電波というように音が波のように、はっきり聞こえたり、遥か遠くになって小さくなったり。私の幼い頃はテレビは贅沢品だったから。その代わりに、本はたくさん買ってもらえた。幼稚園に上がる前の子向けにちょうど、めばえ、よいこと月間雑誌が出るようになったのもこの頃だろう。そして月一で、講談社の絵本を買ってもらっていたような気がする。白雪姫、安寿と厨子王、おむすびころりん、かぐや姫、花咲か爺さん、さるかに合戦、などなど。メインのお話の部分がカラーで、後ろの方に短いお話の部分は多分2色刷りの出版だった。私の一番のお気に入りは、雪の女王だった。今でいうとディズニーのアナ雪のことだと思う。今でもこの中の絵はしっかり私は覚えている。そしてその絵のことを思うと、当時私がいた部屋の中で、母と一緒に畳の部屋に座って読んでいてくれたその時のことも思い出す。母が市内で生まれた都会人、それが結婚で郊外と言う名の田舎に住んだので友達がいなかった。だから母の交友関係も少なかったし、私を理由に、母は大好きな本に私と一緒に浸れたのだろうと思う。

幼稚園は2年保育であった。幼稚園時代の2回のお正月は一年目は麻疹、2年目は水疱瘡になっている。めでたいお正月をお布団の中で過ごすことになった。その時に母が買ってくれたのが、クマのプーさんの本であった。クマのプーさんそしてプー横丁に立った家、この2作が石井桃子訳で収まっている。岩波からで昭和37年の第一刷発行。ここには小学中級以上、と書かれている。だから幼稚園に入ったばかりの私には読めなかった。きっとこの本は母が読みたいから私のために買ったのだろう。それを枕元で母が寝転びながら読んでくれていた。コケモモってどんなもんだろうね、蜂蜜って食べてみたい。と母と二人で想像しながら読んでもらった本は本当に楽しかった。そして本に乗っている、地図が大好きだった。カンガの家とかゾゾをとるおとしあなとか。この地図は本を読みながら、見直したものだった。

私は小学校でもうすでに活字中毒だった。ともかく本を途中で止めれない。小学校の時にまずシャーロックホームズにハマった、この本は流石に手元にも実家にも残っていないのだけれど、最初の頃は子供用の本だった。ところが小学校半ばになるとこれに飽き足らず、文庫本を読み漁り始めた、そしてルパン、アガサクリスティ、ガードナー、横溝正史という推理小説にはまり込んでいた。

このホームズ本は母が弟に与えたものだと思う。弟は私と異なり、テレビっ子であった。弟はテレビのない時代を知らない。男の子には漫画の中でもエイトマン、アトム、そしてウルトラマンシリーズが出てきた。弟は本には興味をほとんど示さなかった。その読まれない本にまで手を出したのが私で、片っ端から家にある本は私の手を通過した。

そして中学に入った頃私が母の本棚で取り出した本が、フランソワーズ サガンの悲しみよこんにちわであった。取り出した理由はうすっぺらい本だったから、と言うのが一つの理由。そしてこれを読み出した時の不思議な気持ちが、なんだかわからない、でもやめられない。全然理解できない。でも禁断のお菓子みたいな。中学生の日本育ちの日本文化が基本の子供にわかる内容ではないのであるが、ものすごくそのサガンは魅惑の世界だった。

多分、子供じゃないの、アピールでもあったのであろうし、子供本は卒業したの、って格好をつけていたのだと思う。だから小学校高学年でかなりませた路線の本をわざと読んでいたと思う。でもそれらの本が、私の生き方を大いに支えてくれたし、想像という世界を広がらせてくれた。食、文化、歴史、科学、音楽、学校に行くより楽しく学べたような気がする。いまのように簡単になんでも、ネットでサーチすることができないから、本で読んだ新しい言葉を辞書んで引き理解するのは楽しかった。

趣味は読書なんて物ではなく、読書は生活の一部。常にカバンの中には文庫本が二冊から三冊。昭和の日本にはどこでも本屋さんはあった。駅の近くに必ず1軒は本屋さん。だから本が途切れることなどないのだけれど、これが活字中毒者の哀れで、十分な本を持ち歩かなければならない。

その悲しみよこんにちわ、を再びきっちり読み返したのは20歳前後。そして私の貼り方では好きになったらその作家の手に入る本を全部読み尽くす。その中で一番好きなのは、手元にないがブラームスはお好き。サガンの上流階級の世界はよくわけがわからないことがあるのだけれど、彼女の文章には、私を想像の世界に舞い上がらせる要素がたくさんあった。ヨーロッパに住まいを移した時に、サガンは持ってこなかった、でもやっぱり再度見つけて買い直したが、ブラームスはお好き は今は手元にない。

仕事始めた頃は、行き帰りの電車の中とかバスの中、本がもうお友達だった。体調を壊し、仕事を中止して手術をして1ヶ月の入院をするときに、その間何を読もうかと悩んだ。活字中毒者には入院の間必要な十分な本を確保すること、がとっても大事。入院の前日私はまだ本屋で悩んでいた、その私が取り上げた本は三国志、そして赤毛のアンシリーズであった。赤毛のアンにちょっとした拒絶感があった何故か、女子供の読む本と決めつけていた。母もこの本を私に与えたこともなかったし、母が読んだという話も聞かなかった。絵本みたいに気晴らしに読めるかな、と試しにアンシリーズの文庫本を三冊買った。そして、手術が終わり少し良くなった私は、この赤毛のアンシリーズをベッドで読み、嵌まり込んでしまった。

正直、アンは苦手なタイプ、でもカナダの景色と、風景を想像した。その自然描写と人間観察にとっても惹かれた。そしてたちまち三冊読み上げ、最後までどうしても読みたくなり、無断で勝手に外出をして、本屋さんに行き最後のアンの娘リラまで買ってきて読み上げた。この本で私が一番好きなのはアンの息子のワルターである。彼と私は近いところがたくさんあった。想像力が強すぎて、何かする前に怖がる。でも実際苦難に面したら、結構図太く乗り越えれる。そして病院のベッドの中でわんわん泣いて見回りの看護婦さんにびっくりされたこともあった。一番の弱み、動物との別れであった。その場所を読むたびにやっぱり泣く。

この10代後半から30代までの間が、目も良く、時間の配分ができて、一番よく本を読んだ。さらば国分寺書店のオババを読んでから椎名誠に傾倒し、そこからほんの雑誌を読み、椎名誠関係にも本の手を伸ばし、中嶋らも、妹尾かっぱの本も大好きだった。旅行記、推理小説も大好き。素敵な本を見つけたらものすごく得したみたいに、嬉しくなった。

ともかく本を読んだら、途中でやめられない。どれだけ睡眠が短くなろうが、全部最後まで読まないと気が済まない。本を読むのはかなり早い、でも雑な読み方をしている。本への集中は抜群、好きな本は繰り返し繰り返し10回以上読んでいるものもかなりある。文庫本で汚いボロボロのものがあるし、すでに二冊目を買ったものもある。母は丁寧に文章を読む人で、あなたって乱暴な読み方するのねって言われていた。その代わり10回以上読んでも感動と発見があるのだろう。

私は小学校低学年から、通知簿に先生のコメントが、落ち着きがありませんもう少し気をつけて早とちりをしないように。といつも書かれていた。そこで気がついたこと、私はADHD?って調べたら、かなりピッタリした。開けた瓶の蓋を戻せなかったり、ちゃんと閉められていなかったりする。私が準備した魔法瓶を持って車に乗り気がつくとお茶が漏れ出したと文句を言われることが結構ある。夫は私が触ったものはすぐわかるという。蓋の閉まり方が、緩い。。。そうである。何かをし始めるともう他のことは忘れてしまうし。突然思いついたことを始めて、それ以前にしていたことを忘れる。若い頃は、そんな不注意がないように気をつけていたので顕著に見せなかった。でも軽症であろうがADHDなのである。幼い頃に、今でいうパニック障害のあった私は精神科医にかかった事がある、でも当時はそんな診断はなかったのである。誰もパニック障害だの、自閉症という言葉を知らなかった。だから学校生活の中で、自分を矯正して生きていけたのだろうなあと。それが年齢を重ね、自分の生きたいように生活できるようになると、隠れていたADHDの現象が現れてきた、それと加齢のボケ症状か。

紙本の不思議なところは、ページをめくりながら気に入った文章、気になった言葉が、どの辺にあるかを覚えていること。この文章はこの本のこの辺にと見つける事が私でもできる。ところが電子ブックではできない。悲しいかな、老眼、白内障が出てきて、昔読んだ本を手にしてみると、小さい文字でびっくりすることもある。そういう時にKindleなどが良いのであるが。明るさ調整、字体の大きさも自由自在な電子本であるが、目の疲れも、心の動かし方心への留まり方もなんだか違う。

わからないものを調べるのには本当に便利なネット社会。そして昔と違って、遠くに離れている友人たちとも繋がれるSMSとネット社会。音楽も映画も手に入りやすくなった。でも私は、本の紙の手触りそして本の匂い、温もりとは離れられない。

自身の生活が、夫の病と死別により、未来が潰され他と思った、ひとりぼっちなのに山ほどの問題に面して潰されそうになった。その頃から私は残虐な描写のある映画や本は一切ダメになった。ビジュアルから入る映画は残酷なもの、悲惨なもの、暴力的、流血一切だめになった。真実から目を背けてるわけでないが、汚い言葉での罵りや、他の人を貶めたりすることを必要以上に見たくないということ。ネット社会になってから、言葉がどんどん軽く使われているのも気になる。これは自分に対する戒めでもある。

国から国を渡り歩く人生の中で、手元に残る本はどんどん削られてきた。殺人が起きる推理小説はほとんど残っていない。人生を変える手伝いをしてくれ、励ましてくれ、精神安定剤隣、私的教科書、になった必要な本、が残ってきている。昨年白内障の手術をしたが、昔に比べると読書量は減った。でも本が側にあることが一番の精神安定剤の私は、いまだに活字中毒者を卒業していない。本と犬は私には貴重な存在なのだ。その生え抜きの本達は、私の棺に一緒に納めてもらいたいと思ってる。

その日がいつ来てもいいように、そういう年齢にもなってきた、だからきっちり意思表示だけはしておかないと。明日がいつも来るなんて思っていたらだめなんだよねえ。