「いとしのAI」(ショートショート)

概論の授業で書かされたショートショートです。
せっかく作ったし初めて小説をまじめに(締め切り前日夜に書き始めたけど)書いた記念に供養します。推敲してないので書き直せたら書き直したい(どうせやらない)

いとしのAI

「AIカレシ」「AIカノジョ」がリリースされたのはいつだっただろうか。昨日のことのように最近に思えるのに、しかし同時に、人間が人間と恋愛するのが当然であった時代がはるか昔のことのようにも感じられる。
世界が緩やかに破滅に向かっていることは、もはや予測の話ではなくなってしまった。環境汚染、異常気象、外交問題……。破滅の予兆が観測可能な事象として人間の前に立ち現れるたびに、世界に充満する諦念は濃くなっていく。やがて世界は未来の人類の繁栄について考えることを諦め、今この世界に存在する我々の人生をどれだけ豊かにするか、という世界規模の「終活」へとシフトしていった。その影響もあってか、いま人々はその余暇のほとんどをヴァーチャル空間で過ごしている。現実世界の抱える問題が大きくなればなるほど、そこから逃避するように、人々は何にも縛られないヴァーチャルの世界にのめりこんでいった。AI恋人が広く受け入れられる土壌は、そこで出来上がったのだろう。私がまだ年端もいかない頃だったなら、AIと恋愛をする人は「現実逃避している人」として白い目で見られていたに違いない。それが今となっては道行く人の誰も彼もがAIの恋人と恋愛に勤しんでいるというのだから、何が起こるかわからないものだな、と思う。個人の問題であった「現実逃避」が今では世界の大きな動きになってしまっているのだと思うと、なんだか考えさせられる。
「……で、カスミはどうなの?」
「カスミ」という呼びかけで、私はふっと我に返った。
「えっと……ごめん、聞いてなかった。何が?」
「だから、カスミのカレシはどうなのって。もー、またぼーっとして」
ユキが冗談交じりに私の肩を叩く。
「ああ、ごめん。うーん、カレシか……。今は仕事のことに手一杯で、あんまり会ってないかな」
例のごとく、私は曖昧に濁してみせた。AIとの恋愛が主流になった今、単に「カレシ」と言うときはAIカレシを指すというのが暗黙の了解である。そもそも私にはカレシがいないけれど、馬鹿正直にいないなんて言ったらユキやミホが問い詰めてくることがわかりきっているので、「一応いるにはいる」ということにしている。
「出た、仕事。仕事ばっかりじゃ病んじゃうよ。カスミも私たちみたいに理想のカレシに癒してもらえばいいのに」
かわいらしい猫のアバターが心配の表情を浮かべる。アバターの裏にいる生身のユキの姿はもう何年も見ていないから、ユキを想像するとき、人間の姿より猫の姿が先に浮かぶようになってしまった。ヴァーチャル・ユキの丸い瞳に見つめられながら、私と会うときは猫だのパンダだの思い思いのキャラクターの姿をした友人たちも、恋人に会うときは、美しいアバターの姿で華やかな服を身にまとったりするのだろうか、なんて想像した。
「はは……そうだね。久しぶりにデートとかしてみようかな。そういえば、ミホは新しいカレシ作ったんだっけ。フォトスタグラムの投稿で見た気がする」
「そうなの。前のカレシも悪くなかったんだけどさ、『恋の緊急着陸』あるじゃん、あれでキム・イジュンに沼っちゃって。それで韓国人カレシに憧れて、先週乗り換えたの」
「乗り換える」というのは、恋人のデータを新しく作ることを言うらしい。前の恋人とも同時に付き合い続けられないわけではないが、多くの人は新しい恋人のデータを作成する際に前の恋人のデータは消去してしまうと聞く。
ミホはスマホを取り出すと、ほら見て超かっこいいの、とキム・イジュンの画像をこちらに差し出した。
「え、やば、かっこよすぎない?あとこの髪型めっちゃいいね、うちのカレシの髪型最近飽きてきたんだけど、こんな感じにしてみようかなあ」
「いいじゃんいいじゃん!うちのカレシも今の髪こんなんだよ」
「いいねー。でも長髪も気になってるんだよね」
「えー長髪かあ、あたし長髪の良さあんまりわかんないんだよね」
ミホとユキは、お互いのカレシを見せ合ってはああでもないこうでもないと楽しげに言い合っている。二人がAIカレシ談議に花を咲かせている隙に画面端の時計をちらりと見ると、時刻はもう午後3時を過ぎてしまっていた。
「二人ともごめん、私そろそろ行こうかな」
「えーもう行っちゃうの?了解。また話そ」
「次集まるときまでに、カレシとの惚気話用意しといてよー」
「あはは、わかったわかった。じゃあ、ユキもミホもまたね」
二人に手を振り「メニュー」から「退出」をクリックすると、ホーム画面へと戻ってきた。
解放感にほっと一息ついて、私はノートパソコンを静かに閉じる。カチャ、とヘッドセットを机に置く音が静かな部屋に響いた。
「終わった?はい、どうぞ」
同居人であり恋人のユウタが、台所から両手にコーヒーを持ってやってきた。
「わ、ありがとう。ごめんね、うるさかったでしょ」
「いや、全然。あのさ、カスミ今日買い物行く?」
「うん、行くけど。ユウタも一緒に行く?」
「ううん、俺も今から別のとこ出かける。シェービングフォームなくなったから、買ってきてほしくて。あの、いつものやつ」
「そっか。わかった、買ってくるね」
「さんきゅ。カスミのそういう優しいとこ、めっちゃ好き」
「もう、都合いいときだけそういうこと言うんだから」
やっぱり、いくらユキやミホにカレシのすばらしさを説かれたところで、現実の彼氏であるユウタには到底敵わない。ユウタは小学校からの幼馴染だ。中学校の頃から付き合い始めて、今もそれが続いている。しかし「現実の人間と付き合っている」と言うと奇異の目で見られるご時世なので、お互い交際していることを周りには明かしていない。
確かに、ユウタに対して不満がないわけではない。使ったティッシュは放置するし、靴下は脱ぎ散らかすし、最近はどこに行くかも言わずに出かけることが多い。でも、ユウタは私を愛しているし、私もユウタを愛している。確かにAIカレシならば、顔も、髪型も、価値観も、行動も、何から何まで非の打ち所がない理想の恋人が作れるのかもしれない。しかし、自分の欲望が詰まった精巧な人形を作って、それに愛されたところで、いったい何が満たされるのだろうか。誰かと付き合い続けることは簡単なことではない。お互いに欠点や価値観の違いに悩まされることもある。だからこそ、互いを許し合い、恋人として愛し、愛されることは尊いのだ。
そんなことを考えながらユウタの淹れたコーヒーを啜っていると、ユウタのスマホが音を立てながら震えた。どうやらスマホを忘れたまま家を出てしまったようだ。恐る恐る、それに手を伸ばす。そして、そっと手に取る。心臓の鼓動が早まっているのを感じる。違う、決して疑っているわけではない。ユウタを疑うために携帯を確認するのではない。ユウタを信じるために確認するのだ。そう、ユウタを愛するためだ。言い聞かせるように心の中でそう繰り返し、4桁のパスワードにユウタの誕生日を入力してみる。するとロックは呆気なく外れてしまった。
右から左へ、上から下へ、アプリを目で追っていく。瞬間、ピンク色のかわいらしいアプリアイコンの下に小さく書いてある「AIカノジョ」という文字が目に突き刺さった。
心臓がうるさい。早まる鼓動に急かされるように、アイコンを繰り返しタップする。アイコンが表示される数秒が、永遠のように感じる。そして、短い永遠の後、ぱっと画面が切り変わった。
画面には、女の子がいた。髪はゆるく巻いた茶髪のショートヘアで、肌は透き通るように白くて、目はたれ目ぎみでぱっちりしていて、唇はふっくらとしていて、背は低い。私は、視界の端に揺れる長い黒髪を引きちぎりたい衝動に駆られた。そして、薄い唇を噛み締めながら、私はユウタのスマホを力を込めて床に叩きつける。そうしたら、今度は浅黒い足でそれを何度も、何度も気が済むまで踏みつけた。
何度か深呼吸をすると、心臓の鼓動が徐々に落ち着きを取り戻し始めた。私はよろよろと床に腰を下ろした。再び流し込んだコーヒーは、とうに冷めてしまっていた。机の上のパソコンをふたたび開き、公式サイトの案内に従って、「AIカレシ」のインストールを開始する。着々と染まっていくプログレスバーを見つめながら、ユキとミホにはいい報告ができそうだ、と思った。


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