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【1限目】鎌倉時代から同じ?生きることの窮屈さ (『方丈記』/鴨長明)


前置き

前回は、筆がついつい走って、壮大な前置きとなってしまった。大風呂敷を広げるのが自分の悪い癖だと反省している。

クーリングオフ期間(1時間程度)を挟んだので、少し冷静な頭で、今後やっていくことを書いておく。

これからは、毎回、一冊の本を取り上げ、そこから得られる、周りと差をつけるための言い回しや表現ぶり、とってつけた簡易な知識等を紹介していく。まずは、週に1回のペースで更新していくが、仕事の繁忙やビュー数も見ながら、週に2,3回にペースアップできればよいと思っている。


このノートの大前提として申し上げておきたいことは、私自身、教養人になろうとしている途上にあり、他の人より一段高いところから、何か高説を垂れるつもりは毛頭ないということである。

取り上げたものに対するコメントは、批判的であっても嬉しいし、みんなで一緒になって、1ミリでも頭がよく見えるように取り組んでいきたい。


本題

本日のテーマ本『方丈記』

さて、前置きが長くなったが、最初に取り上げる本としては、古典的な名著が良いのではないかと考えた。やはり古典というだけで、頭良く見えるポイント(今後「あたP」とか名前つけていこうかな)がいかにも高そうだし、古典を引用しただけで、妙に説得力が増すというのは自明の理なのであるから。

そして、みんなが知っているけど、中身はよくわかっていない(あるいは覚えていない)、なんてのがちょうどいいのではと考えた。まったく聞いたことのない著者の、まったく聞いたことのない作品名を聞かされても、聞き手側の脳で門前払いを食らう可能性も高いであろう。

ということで、今回取り上げる本は『方丈記』(鴨長明)である。こちらは、鎌倉時代に鴨長明によって書かれた作品で、清少納言の『枕草子』、吉田兼好の『徒然草』と並ぶ日本三大随筆の1つである。多くの教科書で取り上げられているものなので、名前を知っている人も多くいるであろうし、学校のくだらない宿題で冒頭の有名な一節を暗記させられた人も少なくないのではないだろうか。

今回は、『方丈記』を使って、周りと差をつける方法を考えていこう。

そもそも方丈記とは

そもそもの前提として、方丈記に関する知識を入れておきたい。『方丈記』は、鴨長明が京都の都会で暮らしていたけれど、晩年になって、京の郊外の日野山に一丈四方(これが「方丈」記の由来)の狭い庵を結び、隠棲しながら残したものである。したがって、そもそも作品全体に無常観が漂っているというのがポイントである。

最初の頭がよく見える一節

「世にしたがえば身くるし。またしたがわねば狂へるに似たり」

『現代語訳付方丈記』古典教養文庫

これは、非常に汎用性の高い一節ではないかと思う。現代語訳では「世の流れに従って生きれば、窮屈である。従わなければ狂人のように見られる」となっており、まさに窮屈な現代社会を表現するときに活用できるものである。組織のルールに従わなければならないとき、学校のクラスの空気を読まなければならないときに、「鴨長明の時代(約800年前)から、日本社会は何も変わってないんだよな」なんて発言をすれば、同僚や同級生から、あいつは歴史を踏まえて現代社会を(批判的に)見ているんだという印象を与えることもできる

無常を悟った感じも出せる

「行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」(現代語訳:行く川の流れは絶えないが、その流れの水は元の水と同じではない。淀みに浮かぶ泡は、消えたりまた出来たりして、同じようにじっとしていることなどない。世の中の人や住む家も同じことである)

同上

「あしたに死に、ゆふべに生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける」(現代語訳:朝に死に、夕べに生まれるようなはかなさは、ただもう水の泡に似ている)

同上

いずれも有名な一節で、特に一つ目については、冒頭でも述べた通り、なじみのある方も多いのではないだろうか。世の中や物事のはかなさを表現したいときには、そのまま引用し、「世は無常だよな」とつぶやいた日には、あの人は世の理を十分に理解している、何か達観しているに違いない、なんて評価も請け合いである。

なお、1つ目の一節は、川好き不思議野郎アピールにも使える。会社や学校近くのなんてことない川でも見ながら引用し、「こうした無常観を教えてくれる川が好きなんだよね」とぼそりとつぶやけば、日常の景色の中から、高尚なことを感じ取ることができる人を演じることもできる

その他の利用シーン

「おそれの中におそるべかりけるは、ただ地震なりけるとぞ覚え侍りし」(現代語訳:恐ろしいものの中でも最も恐ろしいのは地震であると痛感したことだ」

同上

『方丈記』の中では、大火事、辻風といった様々な災害で、家や財産がなくなり、多くの人々が生命を落とし、都全体が悲惨な状態となっていく様子が描かれている(だからこそ、鴨長明は、家や財産に執着しなくなった)が、なかでも地震を最も恐れるべきものとして挙げており、災害が頻発する現代でも地震の恐ろしさを特に強調する際に使うことができる。

「六十の露、消え方に及びて」(現代語訳:六十歳という人生の終わりに近くなって)

同上

自分の年齢をへりくだっていう言い方は、「馬齢を重ねる」など他にもあるが、自らを川に流れる一粒の泡になぞらえて、その人生の終わりを消え方と表現するのはあまりにおしゃれではないだろうか。自らの年齢をいう表現の幅として持っておけば、いつか使えるかもしれない。

「一期のたのしみは、うたたねの枕の上にきはまり」(現代語訳:生涯の楽しみは、うたた寝の枕の上にきわまり)

同上

会社や学校に、寝坊で遅刻した時の、おしゃれな言い訳として「ついつい寝過ごしてしまって。鴨長明も言ってるでしょ」なんて形で使える。また、惰眠をむさぼっていることを、誰かに指摘された際の切り返しとても活用できるのではなかろうか。

おわりに

今回は、前回のホールルームを急いで書き切ってしまった手前、それに続く1限目までに、間が空いてしまうのは、何ともばつが悪いということで、少々急ぎ足ではあったものの、誰もが知る古典『方丈記』を取り上げて、周りと差をつけるためののポイントをいくつか取り上げてみた。

次回は、どの本にするのかまだ決めていないが、今回のように短い本でなければ、2週に亘って、一冊の本を取り上げることもあろうかと思う。それでは、次回までにに互いに無理せず人格の陶冶に努めよう。


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