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変えられない。だから諦めもしない。

結局ずっと続きが書けないnoteを放置して、でも書きたいことは溜まっていく。

今年で30代も折り返しに入り、昔かすかに抱いていた事に疑問にとても納得した事がある。
20代の頃に今も続けている趣味の界隈の先輩たちが、急に30代で見なくなる事が多くいて、自分は「せっかく始めたのに、辞めてしまうなんて勿体無いな」なんて思っていたが、実際なってみると「これは意地がないと続けられないな」なんて思うようになった。

年齢を重ねると共に、意思や意識に関係なく、いろんなものがついてくる。
「背負う」と言えるほどの物では無いから「持つ」「ついてくる」とか言ったが、手を離せる事でも無いから磁力的なもので引っ付いてる感じである。

今年の初めに映画「PERFECT DAYS」を見た際に、主人公の生活に憧れた。
彼は毎朝同じような時間に起きて、同じようなサイクルで動いて、自分の携帯も持っていない。カセットテープで音楽を聴き、古本屋で本を買い、フィルムカメラで木漏れ日を撮り、毎日居酒屋で決まった値段のメニューを頼む。
その縛りのなさに、自分の人生がどんどん縛りプレイを課されている事に気付かされた。
しかし、彼も働いているのだ。生活の半数以上は労働である事は、私も彼も同じである。

縛りプレイで消費された日常は、荷重を増やした車と一緒で燃費が悪くなる。
自分自身も意地はあるが燃費が悪くなり、小手先だけが上手くなっているためどこか火がつくまでこなす事が上手くなっていく為、どうか惰性にならぬようにと必死をこいて踏ん張っている。
例えば、今日この文章を書き始めるのに2日はうだうだしてしまった。
しかし書くのも意地である。

ただ、上手くやれない自分に自己嫌悪の日々であったが、友人と先日飲んだ際、私の日常を知る彼から「そりゃ、出来なくて当然。それくらいの生活をしているよ。俺には無理。」と言われて、少し楽になった。

このような感じで、勝手に他人と比べて自分の評価を中々上げられないのは、自分の人生にとっての課題である。
極端な例で言えば、20歳くらいの頃仕事で精神がおかしくなった頃があったが、その頃は「俺の苦しみなんて、海外の飢餓に苦しむ子供達に比べたら…」
なんて事を本気で考えて、耐えしのごうとしていた。
母に実情を吐き出し「あんたは悪くないよ。」と言って貰えるまで、自分が甘いと人に言えずに抱え込んでいた。母の一言で楽になり、仕事を辞めて全ての後処理が終わった後、実家に帰って3ヶ月程寝転がったソファーから立ち上がれなかった。その辺りの記憶が半年程抜けているくらいである。
今思えば、無理が祟って壊れていた事に気付かなかったのだ。

今でも、近しい人が仕事に血を注ぎ、ある人がいろんな兼業をしたりするのに憧れる。活動する既婚者、子持ちなんてより一層尊敬している。仕事に配偶者との生活や子育てを為しながら、趣味を捨てない意地を目の当たりにしている日常で、それに比べて自分はいかに出来ていないのだろうと、そうずっとずっと思っているし、現在進行形で思っている。

ただこう思う事の中でここ最近、自分で辞められたものがある。
憧れを思う際に必ず卑下していた自分を、如何なる時も下げない様にしたのである。
別にポンプとかでは無いのだから、何かを上げても、自分も何かも下げる必要などない。言葉で分かって人には体現や行動していた事を、自分に対して出来ていない事に気付かなかった。
生まれた尊敬も、憧れも捨てない。ただ、自分は自分として認める。
別とまで言ってしまえばそれも面白くないから、
”同じ人間であるけれど、異なる個体”
という程度に思って生きていく事にした。

これに対する変化は他者にも伝わるもので、それを言葉にすると「自信」に繋がることがわかった。
明らかに自分を許容することが増えたし、自分に余裕も生まれ、趣味にも活きている。

そんな自分になれたからこそ、改めて人に優しくありたいと思う。
この自分に出会えたのは、母や友人の言葉を挙げたけれど、挙げきれない色んな人の言葉を受け取って今に至るのだから、それを与えられる憧れの人達のように、自分もありたいと思う。

大きな人の話と比べると違うかもしれないが、好きなお笑い芸人さんが「今まで出会った女性達が、今の自分を作った」という風な事を言っていた。

僕も今の自分は、女性に限らず色んな人に出会って、その人達から作られていると心底思っている。

先ほど書いた、仕事で精神がおかしくなってしまっていた時。その後救われたことはいくつかあったが、一つ忘れられない恩に感じている事がある。

その仕事先に一度だけ、友人が連絡もなく訪ねてきてくれたのだ。
訪ねてきた際には応対できず、翌日に仕事先で聞いたのだが、地元から遠く離れ友人もいなかった時期に、彼にとってはノリであったかもしれないが、とても嬉しかった。

今は疎遠になってしまったが、その恩をいまだに返せていない。

何なら返せる恩なんてないのかもしれない。
ただ自分が嬉しかったから、それを人にしていこうと思う。

人にされたことは、きっと返せない。
ギブアンドテイクなんてものは、それぞれの比率なのだから成り立たなくて良い。「この程度で良い」なんてこともない。
今のペースに満足もしない。ただ、無理もせず示し続けたい。

今自分が人に示してるものが、正しいかはわからない。
ただ自分が貰って血肉にさせてもらったように、誰かの何かになればなと思う。

ただ消費はさせないよ。だってみんなの大事な私なんだから。

昔流行った「僕たちは世界を変えることができない。」という作品があったけど、世界を変えたいなんて思わないし、人を変えられるなんてことも思わない。相手の事を思ってしているなんて、烏滸がましい。

ただ、一雫の潤いでも与えられる人にはなりたいと思う。
だから、思いつく限りのやりたい事は示し続けたい。ただこれはエゴであるから示すだけ。

私はそうして歩かせて貰ったから、私の好きな人間にその忖度は出来ない。

人と生きるにはズルくあらなきゃならない人生も嫌だ。私を好きな人に好かれているならそれで良い。その為に一人一人に愛をそれぞれ示すのだ。

誰かの常識や普通など知らない。今でも目は気になるし、見ない事はできないけれど、私は人に生かされたから、好きな人たちを愛し続けて生きるのだ。

その先にある、輝く人生を信じて、今日もまた不器用で泥臭い道を行きます。

これはただの経緯報告。真夜中の駄文です。

お付き合い頂き、ありがとうございました。


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