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2/17 「すきなことで生きていくなら、『ゴミの二毛作』をしよう。」

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すきなことで生きていけるのは、『ただの優秀なひと』がそうしたいと望んだときである。

優秀なひとは優秀なので、どんなふうにでも生きていけるわけです。彼らが望むからそうなるだけであって、けっきょく、ただ強くすきなことがあるだけのひとは、宝くじのような確率に身をまかせて、たいていの場合は時代と共に沈んでいくわけですよね。もちろん、メディアとしては10億円当選した数人のひとをピックアップするわけですが・・・。

この残酷な真実についてかんがえていたときに、さて、では「優秀さ」って結局この文脈では、どんなものなんだろうね?と問いがうまれた。そのとき、たまたまツイッターで、何の脈絡もない「マンコ二毛作」というワードをみて、このはなしを書こうとおもった。


ひとの優秀さは、「ゴミn毛作」で測れ。


二毛作というと、「ひとつの畑から、2種類の果実(うまみ)を工夫して収穫する」といった意味合いで一般的に使われるようになったワードなんだけど。ちなみにツイッターで「マンコ二毛作」と呼ばれているのは主に売春で金をたらふく稼ぎきったあとで、過激なフェミニズムに加担したり、「わたしたちは買われた」と訴えて世間の同情を回収したり、もっと直接的に訴訟や暴露をして、のちのPVや暴露料を頂戴したりする器用な女性にたいして使われる。

さて、優秀なひとのはなしにもどる。この文脈において優秀なのは、「ゴミ二毛作」ができるひとだ。

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