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「合理の人」に価値はない。「非合理」なくば、「合理」は立たず。非合理だけが価値になる。

合理性を突き詰めていくと、最後は「どれだけ非合理を効率的にたくさんやれるか」という非合理な話になっていくよね、という話。

本文は最後まで無料です。オマケがあります。

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まえがき

これはぼくが暇つぶしに散歩しながら思ったことを、数分の一筆書きでさらっと書いただけの文書である。読みづらいとか、わかりにくいとか、そういう文句は一切受け付けない。

つまり、ここにあるのはゴミ料理だ。素材は全部ゴミ。ゴミにしては美味しく仕上がっているかもしれないし、それでもちょっと臭うから、食べる人を選ぶかもしれない。けれど、「一部のマニアな人たち」にとっては、たまらない御馳走になるかもしれない。わからない。

これを「美味しい」と感じたら、お前も「スラムの住民」になれるかもしれない。適性がある者を我々は歓迎する。ない人はバイバイ。では、やっていく。


「非合理」という希望

ぼくは大前提、なにかをやり続けるには「狂気」が必要だと思っている。多くのひとは、やたらに「合理的であること」を大切にするが、それは「どう行くか」の部分であって、そこで「合理化」をしてショートカットするためには、そもそも「どこに行きたいか」がなくてはならない。行き先なくば、最短距離もなし。

つまるところ、「非合理」の上にしか「合理」は積み上がらない。「どこに行きたいか」という非合理の上には「どう行くか」は積まれるが、その逆はない。意味不明の欲求、「狂気」と呼ぶしかないようなエネルギー。そういったものがあって、初めて「合理」は成り立ち、「最短距離」をとることができるようになる。


劣等感という「インスタント狂気」

ぼくは狂気が好きだ。狂気に呑まれる妖怪も好きだ。けれども、そんな「狂気ソムリエ」から言わせてもらうなら、狂気にも「質」的なものが存在する。それがどんなに意味不明で、非合理な動機であっても。すべてが「優れた狂気」であるわけではない。

中でも「劣等感」という代物は、「インスタント狂気」である。あれはもちろん「美味しい」のだけれど、それでも「健康を害す」し、なにより「食べ続けることはできない」。狂気とは「時間と共に狂う」ためのものであり、そこに「時間性」、つまり継続性がなければ意味をなさない。劣等感は力になるけれど、続かない。構造的に、すぐに終わりがくる。

これは面白い問いだな、と思った。ので拾っておく。

さて、「自信」とはなんなのだろうか。

そこには「〜だから、できる」というロジックが存在しているはずだ。理由がある。なぜか自信がある、というのは理由が隠れているだけで、どこかには理由がある。つまり、ぼくはこれを「合理」と捉える。

ここでさっき言っていたこと(あるいは、本題)を思い出して欲しいのだが、つまり自信とは「どう行くか」の部分なのだ。最短距離。「それが最短距離だ」という意思決定。それをするための副材料。そして、それは決して「どこに行きたいか」という命題に答えない。非合理の上にしか合理は咲かない。そこには狂気の土がないのだ。

「自信がある」、これは行き先がない。なぜなら狂気がないからだ。そこには「〜だから」が内在している。当人がそれを言語として発することができないこともあるけれど、それは確実に存在している。これは非合理ではない。ということは、それだけでは成り立たない。もっと狂わなければどこにも行けない。


「どこかに行かなければならない」という狂気

考えてみても欲しいのだけれど、そもそも人間は「どこかに行かなければならない」わけでは全くない。むしろ、どこにも行かない方がいいはずだ。だって、そっちの方が安全だし。やたらどっか行くやつ、生存率低そうだし。

けれども、やはり「どこかに行きたい」と思う。それは狂気なのだ。まだ「それがなんなのか」がわかっていないだけ。それでも、狂気は狂気。そこに合理はまだない。非合理だけがポツンと、見つけてもらうのを待っている。ぼくはこの「孤独」が好きだ。だから、人に会う。「会わなければならない」と思う。それを「意味不明だ」とも思う。


狂気が与える「人生の正解」


なにかと「どっちが正解なんですか」と聞くひとが多い。学校教育的クイズ大会の名残なのだろうけど。みんな正解を求める。けれども、残念ながら「狂気なき世界に正解はない」。

思うに、狂気は人生に正解を与えてくれる。それは「どこに行きたいか」に対するアンサーであり、最短距離のことだ。ここには正解がある。けれども、狂気なき世界には正解はない。「行き先のない人は迷子にならない」。行き先がないのだから、迷子も最短距離も、何もないのだ。

狂気なき世界には、間違いも正解もない。それは「生きやすい」かもしれない。けれども、それは同時に退屈でもある。どれだけ生きやすくとも、どうせ死ぬのだ。だったら、間違いも正解も、どちらでもいいじゃないか。

「間違えたくない人」ほど、狂気を嫌うように思う。なぜなら、それは「正解」を与えてしまうし、それと同時に「間違い」も与えるから。だから、「間違えないこと」に固執する人ほど、合理に走る。そこには花が咲く土はないのだけれど。


【ここからオマケ】狂気のみつけかた

さて、ここからは「スラムの民」に向けて、引き続き「狂気」と「合理」について書いていこうと思う。狂気のみつけかた。狂気【実践編】である。

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