7/25 「どうして、わたしたちは『ひとに期待してしまう』のか。そして生きるのに疲れる。」
小学生くらいで「皆がゲームの最適解を理解したうえで、現在のプレイを選択している」という前提が「クソ誤解」と気付いてから、マジで生きるのがラクになった。皆はゲームの最適解をわからず、ただノリで闇雲にブラフかましてたりしてるだけで、そこにはとくに理論とか考察に値するものは存在しない。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) July 25, 2024
ひとに「どうしてそんなこともできないんだ」と思ってしまうのは、たいてい「前提」が間違えているからであり、その前提とは「皆はあるていど最適解を理解しているはず」というものだ。
ひとのすべての行動・言動が「あれもこれも、あくまで最適解を理解したうえで選択されたものに違いない」と思うと、そこには途端に「いじわるめいた意図」を感じてしまう。だから、疲れるのだ。ふだん嫌味っぽいひとが、なにを言っても「裏がありそう」と思われてしまうのに似ている。
だから、生きるのに疲れる。ラクになりたいよな?
それなら…
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