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spinel3
4/23 「競争社会から逃れることは、嵐の海をひとりしずかに渡っていくことのように。」
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この競争社会を生きることは、多くのひとにとって苦しい。その始まりはさまざまだが、ひとによれば親からの寵愛をうける弟や妹への嫉妬心から、あるいは、幼馴染の友情への独占欲、異性との関わりあい、こじれ、進学先の枠の奪い合いに、部活のポジション争いに、大会、そしてまた受験に、就職に、ビジネスの世界へ。
そこから逃れるために選択される、ひとつの道が表現だ。
「絵が好きなわけではないと気づいた」という美大生が奢りにきたので、くわしく聞いてみたら、「絵だけが人生だと思って進学した」「だけど、それはただ『絵を描くキャラ』がクラスの中のじぶんのアイデンティティになっていただけ」「絵を描くのが当たり前の場所にきたら、虚無になった」と言っていて…
— プロ奢ラレヤー (奢られ日記) (@philosopium) April 21, 2023
人と関わるための芸術と、人と関わらないでいる免罪符としての芸術と、目的はないのにどうしても辞められない芸術がある。
競争社会から逃れるために生きてきた表現の世界が、じつは幻想で継ぎ接ぎされた静寂の海であったことを表現者が悟ったとき、彼らは進むべき航路をもういちど考える。
競争社会から逃れることは、嵐の海をひとりしずかに渡っていくことのように。しずかにあることは、荒々しくあることよりも力強い。
かれこれ7年「奢られ屋」という非競争の世界を生きてきたことで、競争という概念について語れることも多くできただろうと思う。じぶんの中から、それらを引き出してみる。
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