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「じぶんらしさ」について。なにがそれであり、なにがそれでないのか。あるいは、その正体と、重要性について。



まったく苦悩の多い時代である。歴史上、おそらく最も経済的に恵まれている時代において、苦悩もまた同じく多いというのは、どうしてもなにか示唆的なものを感じてしまう。それは主に全体的な経済成長と、個人の幸福の相関関係についてである。

ひとは、様々な「生存とは関連のない」苦悩を抱えながら死んでいく。なにか経済的な損をした、だとか、ひとつの人間関係が上手くいかなくなった、だとか、自分のカッコ悪い姿が世界中に広まってしまった、だとか。そういった苦悩に殺され、死んでいく。実にふしぎなことだ。それらはほとんど生存には関連がないのに関わらず、ひとを死に至らしめるのだから。

そこで、今回は恐ろしくも、ひとを死に至らしめる「苦悩シリーズ」のひとつ、「じぶんらしさ」について取り上げていく。じぶんらしさについて、正直じぶんは苦悩をした記憶がないのだが、こうして世俗を泳いでいると頻繁に出会う、世俗センター試験の頻出問題である。人間に入学するためには避けてはどうしても通れない、とても重要な問題だ。

しっかりと事前に定義づけをし、本番では減点をされないように、問題文の誤読をさけられるようにしておかなければならない。「じぶんらしさ」についての理解は、人間ライフにおける配点が非常に高い。しっかりおさえておこう。



「じぶんらしさ」とは独自性である。それは、全体の市場において「希少性が著しく高い」、もしくは「圧倒的にパワーのある」、その人間にそなわったある性質のことである。

独自性のあるものは、一般的に「価値がある」とされる。それは単に経済的な意味で言われることもあれば、単に希少性の観点、つまり「なくなったら、なんとなく勿体ないきがする」というような人類のお気持ちから発生する価値だ。ひとに置き換えて考えれば「じぶんらしいひとには価値がある」のである。

実際、この傾向は顕著であるように思う。インターネットでは「じぶんらしい人」、つまり「独自性をもった人」が経済的な富、ただそれだけにとどまらず大衆からの支持や、権力者からの支持などを得ている。

そういった事実があることにより、多くの人類には「理由はわからないけれど、なんとなく『じぶんらしさ』がなければダメなようなきがする」「じぶんらしさがないじぶんはダメなんだ」というような雰囲気が漂っているのである。よって、若者は「じぶんらしさ」が見つからないことで死ぬ。じぶんらしさがないということは、彼らにとって"理由はわからないけれど"価値がないことの証明であるからだ。

もうすこし掘り下げよう。

「じぶんらしさ」をもっと現代の人類を軸に具体的に定義してみるとどうだろう。つまり「なにが独自性であり」、「どうすれば独自性はうまれるのか」についてである。

現代の人類の99%は「お金」と「見栄」の奴隷である。彼らは「お金」と「見栄」のために生涯を費やす。お金が増えれば喜び、それが減れば悲しむ。多くのひとに対して見栄を張ることで安心し、それができなければ不安になる。つまり、現代の人類市場は「お金の取り合い」「見栄の張り合い」が99%なのである。

さて、独自性とは「全体の市場において」という前提があることは先にかいた。そして、いま話したとおり、現代の市場は99%が「お金」と「見栄」である。

そこから導き出されるのは、つまり現代における「じぶんらしさ」とは、「お金」と「見栄」という普遍的なインセンティブを人生から取り除いた後に残された、その個人特有のインセンティブである、ということだ。

ひとは「じぶんらしさ」を追い求めて、たとえば「じぶん探しの旅」と呼ばれるような行為におよぶ。インドに行って人生が変わった、と軽率に話す彼が実際にそのあとの人生において、大きな変化を外観的に感じさせることはない。なぜなら、彼らが「探しているもの」はインスタ映えするキレイな景色と、財布を苦しめない安い宿ばかりであるからだ。当然、そこに「じぶんらしさ」はない。

ひとは「じぶんがなにをしたいのか分からないから」といって、大学に通う。ロスタイム、延長戦としての進学である。だが、実際にやっているのは、金欠からくる「お金」への渇望感と、同世代とSNSで日々の人生の煌びやかさ、就活の進展具合、結婚のスピードなどを比較しあう「見栄」を育てる行為である。当然、そこには「じぶんらしさ」が見つかることはない。

「じぶんらしさ」とは、お前から「お金」「見栄」を取り除いたあとに残るものである。どこにも探しにいく必要はない。いま持っているものから、ただ引けばいいのだ。引いたあとに残るものを考えればよい、感じればよいのだ。現代における「独自性の獲得」はそれで事足りる。ありがたいことに、人類の99%は「お金」と「見栄」に夢中になってくれている。そして、彼らの未来は収斂進化だ。同質化だ。それは独自性とは正反対の概念である。

「お金」と「見栄」をあきらめることにさえ成功すれば、「じぶんらしさ」を手にできる。そして、その「じぶんらしさ」に時間をかけた結果あらわれるのが「独自性」という武器である。

ただ、当然「じぶんらしさがなければ死ぬのか?」と聞かれれば、答えは完全なNOである。なぜ死ぬのか、ぼくには分からない。だが、実際にそれで死んでいく人類が大勢いるのも確かである。彼らに残された道は「じぶんらしさの正体を暴き、それを獲得する」か、もしくは「じぶんらしさがなくても、現代においての生存にはなんら影響がないし、ぬくぬくと世俗として生きていけたらいいや」というレベルまでのあきらめを達成するか、である。やっていきだ。


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