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【プロの文脈】一億総クリエイター時代、ジャンルの壁が消える

“ジャンル”の壁を設定しているのは業界ではなく、アーティスト自身だ。
このトピックでは、「創作領域の拡大方法」を、知ることができる。より広域に活動したいアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “ジャンル”という認識 』

「ジャンル:genre」というフランス語には実のところ、“業界”に類する意味が含まれていない。“芸術作品の種類と様式”を示す言葉でありつまりアーティストにとってみれば、「何を創るか」がジャンルであって、「どこで創るか」は自由なのである。

映画や芸術の多角的な鑑賞方法が生んだ観客の多様性がいま、既存の作品の在り方を一変させている。アーティストたちは専門職のまましかし、専門ではなかった技術をも駆使して新たなアプローチ方法から、目的の作品を生み出す時代にある。“業界”という縛りが設定したジャンルという概念など、気にする必要はない。技術様式の壁など、最初から存在しなかったのだから。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:共感に満ちている「ドキュメンタリー×アニメ」という、サンダンス国際映画祭受賞作

「Flee 」のようなアニメーション映画を見たことがないかもしれない。本作は難民のトラウマを見事に表現した作品として、サンダンス国際映画祭審査員賞を受賞した。「Flee」はドキュメンタリーとアニメーションを大胆に組み合わせた作品で、Amin Nawabiという一人の男性の実話について、アフガニスタンからの子供難民時代の悲惨な境遇を描いている。

この映画では、インタビューを見事なアニメーションによって、あたかも彼自身の記憶から引き出したかのように、彼の話に命を吹き込んでいる。
「Flee」は、今年のサンダンスで、ワールドシネマドキュメンタリー部門の審査員大賞を受賞し、高い評価を得た。

レビューでは、「過去10年の間に、彼らの痛みを伝えるドキュメンタリーや劇映画は複数あったが、Fleeのアニメーションによるストーリーテリングには、この特別な闘いを特別に痛烈で人間味のあるものにする何かがある」と述べられている。

Amin Nawabiが20年間隠し続けてきた苦しい秘密と向き合う物語を、監督のJonas Poher Rasmussenは、主にアニメーションを使い、アフガニスタンからの子供難民の旅を初めて語った。 - JULY 14, 2021 THE PLAYLIST -

『 ニュースのよみかた: 』

“ドキュメンタリー”のインタビュー場面をアニメで表現した作品が大好評、という記事。

現代を切り取る実写映像に対して、主人公が過去を語りはじめると、子供難民時代の悲劇がアニメーションで描かれる。本作のアニメ表現は各国の主流である“3DCG”や2Dを再現した“トゥーンシェイド”ではなく、日本が世界に誇る手描きによる“リミテッドアニメーション”でもない。実のところは“割り”と動画枚数の少ないフラッシュアニメのようで、低レベルな表現方法だ。しかしながら、そのキャラクターが語る声は“本人”であり、その悲劇的な情景には遠慮が無い。まさに、「ドキュメンタリー アニメ」という新ジャンルの誕生だと言える。

本作を発掘し、栄誉ある賞を与えたのは「サンダンス映画祭」。アメリカ最大の、インディペンデント映画を対象とした祭典だ。ハリウッドの6大メジャーに代表される大作は、対象外ですらある。創設者は、名優ロバート レッドフォード。

叩き上げの映画監督たちが敬愛する、大切な映画祭である。

『 技術はインディペンデントの味方 』

メジャーの大予算ならば人海戦術で、イマジネーション通りの映像が製作可能だ。“映像”に関するならばすでに、不可能はない。逆を返せばメジャー作品はもう、一般観客を驚嘆させる術を持たない。

一方のインディペンデントには、まだチャンスがある。

低予算ゆえに撮影期間は短く、インディペンデント作品のクオリティは低かった、のは数年前までだ。プロの技術が買えるようになった現代、“作品ジャンル”を越えた技術を導入し、まったく新しい表現方法で作品を生み出すチャンスだ。

どんなにハイエンドな技術であっても“デジタル”なら、確実に手に入る。フィルム限定撮影や特殊メイク、セットデパートメントや衣装などの、“アナログ必須技術”にはまだ手が出ないかもしれないがそれですら、SNSのコミュニティを介すれば必ず、入手することができる。

どんなにハイエンドな技術であってもすべては必ず、人が運んでくれる。
業界を越えたプロフェッショナルたちに敬意を忘れず、自身の得意不得意を決めつけることなく、どんどん他業界のプロと会い、新しい技術を導入するといい。

もう、業界国境をまたいで怒られる時代ではない。

『 立ち位置は、変えていい 』

もう視聴者たちは、“業界”が提供するルールを信じていない。現代の観客たちはプラットフォームの“特性”を熟知して使い分け、同じコンテンツであっても都度、鑑賞方法を変えている。たとえばスマホの中であっても、カメラにもプレーヤーにも、それぞれに複数の特徴的なアプリを使い分けるのは常識だ。アプリの種類を切り替えるだけで、画質や音質は向上し、また転送スピードの安定性が変わり、即応性も異なる。

もう企業が牽引してきた“業界”は、観客の生活様式についていけていない。また、マーケティングが“ムーヴメント”を生めた時代は、終わったともいえる。逆に、SNSとプラットフォームを駆使して“ちょうどいい”タイミングを構築できれば個人でも、コミュニティを最大化し、作品や商品と観客を紐付けて価値を実装し、「ブランド」を描けるのだ。

“アーティストの立ち位置”を、考えてみよう。
どう考えても観客の“新常識”には届いていずしかしながら、業界無くして存続できる体力もない。弱小故にとどめが刺されていないだけの死に体に近い危険もある。

アーティストは今こそ、自分が信じた業界を、踏み出していい。
重い扉の向こうは、快晴なのだ。

『 編集後記:』

若い才能たちとの、長い会議があった。
安全性から、“会話禁止”のランチを共にした。
最高齢のわたしはそれこそ条件反射で店の支払いを済ませたのだが振り返れば、それぞれが釣りのいらない“自身分の食事代”を差し出している。驚いた。15歳から芸能界に暮らしたわたしは年配者との会食で“割り勘”など、ただの一度も経験したことがない。

「え、けっこう常識ですよ。受け取ってもらわなきゃ困ります。」

彼らの仕事ぶりは常に自信に満ち、政府よりも早く時代の最先端に駆け上がり、地球のてっぺんから文化を俯瞰している。彼らが創ろうとしているのは“他人への借り”ではなく、「新世界」だ。

歴史になるための今を描くべく、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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