【知れば選べる】創作の主流はもう、“エンタメ”ではない。
80年代から続いたジャンル、“エンターテインメント”の黄金期が終わる。
このトピックでは、「求められる作品のテーマと傾向」を、知ることができる。勘に頼らず、勝つアーティストの、ために書く。
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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 世界の常識は、変わった。 』
映画、音楽、出版、番組、ファッション、飲食、テクノロジーそしてコミュニティから経済全般までもが、「エンターテインメントの功績」に依存してきた。業界は拡大し、作品(商品/サービス)は増え、技術開発は支えられ、マーケットの拡大に経済が踊った。
しかし、世界は停止した。
70年間続いた大企業神話はたった数ヶ月で瓦解し、華飾の日常は枯れ、エンタメが牽引した文化は忘れられ人々は、「本質」を求めはじめている。軽薄なブランドのメッキは剥げ、見栄は価値を失い、人々の意識が明確に“現実”を捉えた。
世界は再び、動き出す。今までとは異なる、路を選び。
そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。
■ 最新国際ニュース:映画メディア最大手VARIETY、「ドキュメンタリー作品」の取り扱い拡大で専門チャネルを開設
ドキュメンタリー映画製作がかつてないほど活気づいている今、大きな取り組みの一環として「Variety」と「Rolling Stone」は、サミット「Truth Seekers」を共同開催する。世界中のリーダーやイノベーターにスポットライトを当て、「Truth Seekers誌」も制作している。
さらにVarietyは、ドキュメンタリー作品の取り扱いを拡大。成長著しいこの分野を拡大するため、「Docs」という専門チャンネルを開設。
Variety編集長のClaudia Ellerは、「Varietyは、ドキュメンタリー映画制作の芸術とビジネスに大きく貢献します」と述べている。「メディアの世界では、長編ドキュメンタリーとドキュメンタリーシリーズの両方の形で、魅力的なコンテンツが爆発的に増えており、私たちの新しいバーティカルはそれを称えることに専念しています。」
最近のVariety誌での記事には、ノンフィクション作品における深い考察が含まれている。今回のDocsセクションの開設は、Variety社がグローバルなメディアおよびエンタテインメントビジネスにおいて、デジタルおよびビデオのカバレッジを拡大していることを受けたものだ。 - JULY 01, 2021 VARIETY -
『 ニュースのよみかた: 』
「ドキュメンタリー作品」の急成長に伴い、最メジャーメディアのVARIETYが動画チャネルを開設。業界最大規模での展開はメディア力を活かし、舞台裏からスタッフインタビューさらに専門誌の出版に注力、という記事。
PMCというを親会社を持つ最大エンタメメディア「Variety」と老舗出版「Rolling Stone」のタッグは、強い。その全力が“エンタメ”ではなく、ドキュメンタリーに向かったことは注目に値する。成長域にもマネタイズにおいても、「エンタメよりも“ドキュメンタリー”」への業界シフトが、証明された。
『 ドキュメンタリーには、“3つの強み”がある 』
誰かのイマジネーションよりも、時代は「近未来の答え」を求めている。再起動した世界を生きる人々はいま、楽しむ余裕を持たないためだ。“ドキュメンタリー”もまた、ひとつの選択肢に過ぎないだろうしかし、王道レールを外れたキングの代役としては、適任だと言える。
ドキュメンタリーには、エンタメが持たない「3つの強み」があるためだ。
製作費が安い、などとは口にはしないで欲しい。本物を描くに、相場などないのだから。ただ、限界があるだけだ。
では検証しよう。
『 ①:作家の性質の違い 』
エンタメにはもちろん、ドキュメンタリーにも必ず“作家”が存在する。その意義には長きにわたる討論があるが、注目すべきはそこでは無い。
たとえば、人々が日常を幸せだと気付くための「恐怖」を描くとしよう。
エンターテインメントの作家は、“恐怖に詳しい”人物が物語を描く。恐怖に詳しい人物とはつまり、「怖がり」のことだ。異論があるだろうか。たとえばわたしはいま、漫画家の楳図かずお先生と巨匠作家スティーヴン キングさん本人から直々に、そう聞いたことをお伝えしている。
一方、ドキュメンタリーで恐怖を描くためには、“実際の恐怖”から逃げ出さない強さが必要である。恐怖に打ち勝つ強さとはつまり、恐怖を越える意思だ。やがて観客は、気付くだろう。
ドキュメンタリーの恐怖は、戦士が撮る。時には捨て身で。
『 ②:観客の位置 』
エンターテインメント映画が安全を保証されたテーマパークなら、ドキュメンタリーはキャニオンのトレッキングかも知れない。擦り傷程度の覚悟は必要だし時には、トラウマを負う。
両者の違いは、観客が心に受ける衝撃度だ。
だが感じ方は、明らかに異なる。その理由は、“カメラ”にあるのだ。
映画はどんなにスリリングな環境においても、“カメラを無視する”ことがルールになっている。一方でドキュメンタリーは、“カメラも登場人物の一人”となる。ともすれば登場人物はカメラを通して、観客の貴方に語りかけてくるのだから。
観客はより現実な感情移入を以て、ドキュメンタリー作品に飲み込まれる。
観客は作品に、参加する。
『 ③:企画開発環境の違い 』
エンタメの作者はきっと、取材中に襲われて救急に駆け込んだり、拉致されたリビングでカーペットの染みをみつめながら夜を明かしたことはない。
いや、わたしの経験などは準備運動に過ぎない。
わたしは目下、国際ジャーナリスト共に脚本を開発している。FBIと共に取材を敢行し、CIAに誘われながら日本食を愛して辞退し、宗教取材に踏み込んでピストルに追われながらカーチェイスの果てに今日を生きる彼は、伝説の男だ。ここ「アーティスト情報局」のフォロワーたちは間もなく、彼と出逢うことになる。そして、本物の取材に気付き、“本物”の描き方を知る。
エンターテインメントに変わる代表ジャンルは、現場から誕生する。
『 編集後記:』
まだ世界が華やかだった頃の作品を、振り返ることがある。
画面であったり紙面であったり、偶然が機能すれば時にはスクリーンであったりする。しかしまたわたしは、幾つかの戸惑いに放心することとなる。
「あの、お気に入りの場面がない……。」
わたしは初見当時、いつの間にか観客から作者へと立場を移して天才たちの創作に介入している。勝手なコラボレーションの果てに自身の記憶を上書きしているのだ。妄想の場面を描き、物語を誘導する結果、再会した真の作品は、わたしの魂に刻まれた世界ではなくなっているのだ。
きっとまた、“偶然”がわたしたちを引き合わせてくれる。
未だ観ぬ人々の心に生きるべく、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。
■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記