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【命がけの映画製作】こんな時代なら、無謀なストイックが面白い

器用な時代の不器用な人々が突き抜けていたなら、それは強い。
このトピックでは、「影響されない突き抜け力」を、知ることができる。どうせ一瞬の人生ならたったひとつの路を行くと決めているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 作家の命より“作品”が大切なのは、当然 』

“熱血”などという強欲な空回りが称賛された時代は過ぎ、「等身大」を経て「意識高い系」を越え「正直」という価値が台頭している現代だ。誰もが無価値な華飾を手放して生活を見つめ直すこととなったこの19ヶ月になお、「命がけ」などというストイックの果て、“戻れない系厨二病”が存在していたとしたら、どう想うだろうか。だがそれ、現実だ。

しかし実のところ、珍しいことではない。
鍋より料理、紙より文章、作家より映画が大切なのは当然なのだから。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:アムネスティ インターナショナルが公言、「作品のために殺害、迫害される映画監督が後を絶ちません」

映画製作者たちはその過程で、殺害されたり迫害されている。国際支援団体アムネスティ インターナショナルは設立から60年たった今も、そのリスクが残っていることを認めた。

1975年、詩人から監督に転向したピエル パオロ パソリーニは国の内幕を描き、秘密組織によってイタリアで殺害された。2012年には映画製作者で活動家のBassel Shehadehが軍を描き、シリアで銃撃されて死亡。葬儀には友人すら参列できなかった。チベットの映画製作者トンドゥプ ワンチェンはドキュメンタリー映画を発表したことにより、中国当局により監禁。アムネスティーの抗議活動により6年の刑期を経て、2014年に釈放された。

これらは、膨大な記録の一部に過ぎない。
アムネスティのイタリア支部は現在、38年の刑に服している人権弁護士を秘密裏に撮影したドキュメンタリーの公開を支援している。このドキュメンタリー映画もまた、命がけの大きなリスクの中で制作された。

「もちろん映画製作者たちは、映画を創るために命を危険にさらします」“危険にさらされている映画製作者のための連合(ICFR)”の国際会議議長が、そう証言している。「危険を望んでいるわけではありませんそれでも彼らにとってそれは、彼らの世界観を描く映画製作への選択なのです。映画製作者は“敵”とみなされることがあります。“批判的な表現”は、他のアーティストたちと同様だからです。誰にも気付かれずに、表現活動などできない、ということです」

アムネスティは、ウクライナの映画製作者オレグ センツォフの言葉を代弁する。「監視下で死んでたまるか。」と。センツォフ監督は、長期のハンガーストライキの後にテロ容疑でロシアに逮捕されて投獄。5年後に釈放された。エジプトでは若き監督ジェイディー ハバシュがミュージックビデオの内容を咎められて裁判無しに2年間の投獄、獄中で謎の死を遂げた。

アムネスティが、“ハリウッドスターが行使できる力”について、証拠を提供した。12月初旬、エジプトのSNSに登場した“スカーレット ヨハンソン”が動画の中から短い開放要請のメッセージを発信した翌日、3名の交流が解かれて釈放された。映画祭ディレクターでプロデューサーのナイラビア氏が、回想する。「シリア当局に投獄された私は、俳優の“ロバート デ ニーロ”が開放を求めてくれた6秒間のメッセージによって、翌週に開放された」

ビッグスターには、“行使できる力” がある。彼らもまた、映画人だ。 - JULY 15, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

映画監督、殺されがち。なおスターは救済魔法が使える、という記事。

アムネスティ インターナショナルとは、「良心の囚人(非暴力であるが言論や思想、宗教、人種、性などを理由に不当に逮捕された人)」を救済、支援するために1961年に設立された、国際連合との協議資格をもつ非政府組織(NGO)である。

映画監督とは、職業ではなく“生き方”であり、作品のテーマ如何では死ぬこともある。兵士や特殊医療現場を想像すれば、珍しいことではない。ただ、「映画監督=命がけ」という一般認識は、少ないようだ。もっとも、映画監督を名乗る人々の大多数が偽者なのだから、致し方ない。

映画監督は企画を開発する度に、“危険領域”に突入するかもしれない覚悟を強いられている。必要なテーマと取材対象が危険領域に存在していたなら、突入する以外に選択肢は無いのだから。

『 ストイックと映画監督 』

ストイック、本来の意味は、賢者たる自己修練と幸福の追求だとされる。
「知恵」「勇気」「忍耐」「正義」の4つを美徳とするストア哲学に由来する。それぞれ、広い心に知恵を、困難には勇気を、正しさのための忍耐を、信じた自身への正義を生きるための修練だ。

一方で英語圏での「stoic」とは、「感情を表さず辛くとも文句を言わない」とある。日本語の“ストイック”では、継続的な集中と鍛錬の過程であろうか。

美しいこのメッセージは、映画監督に相応しい。
受注仕事に媚び、虚飾で欺き、趣味を持ち休息を求めて娯楽を望むならその人は映画監督では無い。表現者ですらなくただの、器用な一般人だ。

『 影響されない、という意思 』

自己顕示欲の強い一般人が他者の影響を受けない、それは不可能だと証明されている。現代文化を生きると言うことは、影響の対象を選択する行為だ。

その中でも、創作活動を続けているストイックがいる。純度の高い哲学の果てに情報を精査したい彼らにとって“影響”とはすなわち、雑音である。

各国の巨匠や成功者たちに多いこのタイプは、社会から隔絶された生活を選ぶ。スターが大豪邸に住む、というのは成功の証明や夢の達成だと想われがちだが、そうともかぎらない。

ストイックな彼らは、自宅でパーティーを繰り広げたりしていない。豪邸も壮大なバカンスも、社会を捨てる代わりに手に入れた“異界の地”なのだ。豪邸の彼らはいつも、“キッチン”にいる。世話人へのきづかいなく、“おかわり”が用意しやすいためだ。豪華なリビングでくつろぐ成功者など、いない。

影響されないストイックを手に入れる為には、壮大な努力か、放棄力が必要だ。「突き抜け力」とその成果は、この“非現実的な日常生活”の中にある。

『 編集後記:』

足の小指を打った瞬間、世界は一変する。

世界共通、停戦合意の瞬間である。状況、性格、社会地位、あらゆる感情を度外視して、時間が停止する。つまり、足の小指を打つ、は世界平和の象徴だと言える。足の小指を打ってから痛みが到達するまでの静なる時間が、「哲学」だ。あぁ……、痛みが遠退きはじめた。正直過ぎてひねくれた性格が、戻ってくる。

現実を疑い心を信じる、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記