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アーティスト、下請けの無名で終わる可能性

すべての業界は、個人からはじまっている。アーティストは誰にも、臆する必要はない。このトピックでは、「アーティスト個人が業界で強くなる方法」を、知ることができる。“他人のために働いているアーティスト”の、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “セカンド アーティスト”で終わる人生 』

創作活動に生きている人々の多くは自身を、“アーティスト”だと自負している。一方で、受注仕事で生活している彼らは業界から“クリエイター”と呼ばれ、替えの利く存在「セカンド アーティスト」として業界人生を終える。

セカンド アーティストと、アーティストには、圧倒的な差がある。

セカンド アーティストが手がけるのは、“他人の作品”だ。
アーティストが手がけるのは、「自分の作品」である。

他人の作品の中で輝くのは、限界がある。
生活を優先するなら、この話は、読み捨てた方がいい。
望むならわたしは貴方を、セカンド アーティストでは終わらせない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:「画コンテ」の芸術:シルヴァン デスプレッツが語る

「アベンジャーズ」「エイリアン4」「フィフスエレメント」などを手がけたシルヴァン デスプレッツは、リドリー スコット、スタンリー キューブリック、デヴィッド フィンチャーなどの巨匠監督にも協力している。

デスプレッツはカウレット社から販売されるアートブック「Los ángeles,」で、その芸術性を披露している。デスプレッツは、「動き、音、構成がどうであっても、“言葉をつかわずに”物語を語る方法、それがストーリーボードです」と語っている。アカデミー賞受賞作品「グラディエーター」(2000)に参加していた当時を回想する。

「リドリー スコットは、非常に直感的で、非常に視覚的な監督です。わたしたちの提案は次々と、却下されました。卓越性とは、“排除する能力”ですよ。脚本に書かれている内容を、そのままは映画化できない。実際の撮影状況を優先して、構成をデザインします。ストーリーボードは、監督と同等なくらいに、優れた機能を果たします」

リドリー スコットのように、詳細を好む監督ばかりではない。「それでも、作品内容や予算、技術はどうあれ、ストーリーボードは重要なんです。」シルヴァン デスプレッツは言う。 
- JUN 23, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

SCRIPT(映画脚本)と監督の間を取り持つ技術部として、「ストーリーボード(を描く画家)」は重要なんだ、という記事。

誰も知らないであろう“シルヴァン デスプレッツ”氏。

レオナルド ディカプリオが企画して、ゲイリー オールドマンに代わって渡辺謙がオファーされていた時代に幻と消えた、ハリウッド版実写映画「AKIRA/アキラ」の画コンテとストーリーボードを手がけていた本人だ。

かの巨匠画家“メビウス”のワークショップ出身の彼はまだ若い(なぜか年齢未公表)がそれこそ、「ターミネーター」「ミッション:インポッシブル」「ハリー ポッター」「スーパーマン」「猿の惑星」「ブラック ホーク ダウン」「パニック ルーム」他、ハリウッドの超大作系エンタメ映画にはことごとく参加している著名な“アーティスト”だ。

誰にも知られていないわけだが。

『 知られずに終わるなら、アーティストではない 』

素晴らしい画家なのだ、“シルヴァン デスプレッツ”。彼に影響されていないストーリーボード画家など、存在しないレベルに。その彼の画風はまた、師匠のメビウスやシド ミードの影響が満載なのだが。話は、そこでは無い。

これが、実写映画界に存在する“画家”の頂点だ。
彼以上に成功する画家はおらずまた、ポジションも無い。
また、“アニメーション”の世界では求められる資質が違いすぎて恐らく、彼の居場所はない。

彼はアートブック「Los ángeles,」を発売したわけだ。
ハリウッドの頂点に駆け上がり、並み居る作品を手がける成功者としてこれまでのアーティスト人生の集大成は、49,00 € TTC「6,482円の本」だ。

寂しすぎはしないだろうか。綺麗ごとはいらない、わたしはアーティストであるので正々堂々、「悔しくは無いのか!?」と問いたい。彼は非の打ち所のない超一流の画家にして、「セカンド アーティスト」なのだ。

『 業界は「仕組み」、個人は「力」 』

“置かれた場所で咲きなさい。” とは、名著の素晴らしいコピーである。

わたしは、嫌だ。
先に説明したとおり、移動するのも違う。そこで咲くのは、望むところだ。
「置かれる」のが嫌だ。

業界とは、「仕組み」である。
先人が創った作品の魅力がマーケットを生み、“再現性”を求めた先に誕生するのが“仕組み”、つまり業界である。

時代は、進化した。

業界依存のアーティストたちが過ごした60年は過ぎ、
世界が一時停止したことで、時代は加速した。
もう業界は、時代に追いつけない。業界は時代を、リードできない。
もう業界は、“ムーヴメント”を創れない。

時代を創るのは、「個人」である。
個人とは時代を象徴する代表であり、
次の業界を創る「力」である。

すべての業界を創ったのは、「個人」なのだ。

『 業界を活かすアーティストになる 』

セカンド アーティストで終わりたくないなら、「アーティスト」になればいい。業界に生きず、「業界を活かすアーティスト」であるべきだ。

業界の世話にならず、業界の世話をするアーティストを目指すと言うことだ。我々は多かれ少なかれ、それぞれの業界の世話になり、おかげをもって現在にある。しかし、プロフェッショナルを生きる生活の中で、貢献もしてきたはずだ。

アーティストの“現役人生”は、長くない。
いまこそ覚悟を決めて、「自身のための創作活動」を仕掛けてはどうか。護らねばならない生活があるなら、“業界も”、護ってみてはどうか。

業界に指揮されて生きる人生は、アーティストではない。
時代に届かずに枯れゆく業界を、導く強さを獲得すべきだ。
一般社会人の倍学び、倍実践し、倍苦しみ、それでも半分の成果を積み上げながら闘い抜いてはどうか。わたしもそうする。手負い果ててみせる。

その程度の労は苦でも無いのがアーティストであることを、わたしは知っている。そんな人間たちが業界を生み出す姿を、何度も観てきた。業界はすがる場所では無く、あなたが護る場所である。

あなたはアーティストとして、「ブランド」になる努力をしていい。
それが価値となり、地位と名声と富を生み、業界のためになる。

『 編集後記:』

アーティストがなめられる様に、観て観ぬふりがし難い年齢になった。なにも崇め奉る必要なんてないただし、彼らの痛みと闘いを、認めてあげてほしい。彼らの真っ直ぐな想いを。

静なるアーティストの動たる、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記