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【アナログ最強説】多様化する作品表現、楽を選ばない方法

最新ガジェットとプラットフォーム依存の作品製作が、常習化している。合理化を徹底して最適化された創作仕様は時に、一般観客に見抜かれる。このトピックでは、「無駄を追求する価値」を、知ることができる。情報リテラシー高く時代を捉えているつもりが気がつけば一般人と競っているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 彫刻、という無駄の極み 』

SONYの新製品でシネカメラを気取りAppleのM1チップでDaVinci Resolveを走らせながらLUTの多様で作家を気取りがむしゃらな4K書き出しでYouTubeアップロードを“公開”と称し多作の果てに関係者に“監督”呼ばわりさせている“一般人”を、除外して語る。

便利の追求と最適化は社会のみならず、アーティストの創作活動にも大きな変革を起こしている。高度な技術は加速度的にコモディティ化して価値を失い、コンセプトにかける時間は排除され、優先する量産が業界価値を下げしかしマーケット収益を向上させているい。アーティストは作品と共に、“消費”されている。

そんな中、非合理の極みとも言うべき表現手法がある。「彫刻」だ。材料代がかかり広いアトリエが必要で実によく汚れて有機溶剤が臭い体力勝負で保存に場所を必要とし販売方法が限定され営業に持ち歩けずそもそもに、立体作品の全体像は同時に観賞することができない。

しかし、砂や石膏、シリコンや金型を駆使して“複製”したとしても個体差が発生し言い換えれば、“すべてオリジナル”というNFTすらも越えられない価値を作品本体が証明する。それは、サンピエトロ大聖堂に鎮座している巨匠ミケランジェロの大理石彫刻“ピエタ像”は、一般鑑賞者の目につかない下方背後に、失敗跡がある。それもまた、現物ならではの意義。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ベイエリアで活躍した彫刻家、マニュエル ネリは、手足や頭を失った人物を彫った奇抜な彫刻作品で、ベイエリアのフィギュレーション ムーブメントの中でも最も重要な作品のひとつに数えられている

同ギャラリーは追悼文の中で、「主に石膏、ブロンズ、大理石を使って女性の形を表現したネリの非常に喚起的で叙情的な作品は、モダニズム彫刻と西洋の完全な形象の伝統との間の鮮やかなつながりを象徴しています」と述べている。

戦後、ネリが奇妙なペイントを施した彫刻を制作し始めた頃、ベイエリアでは、抽象表現主義的な美学を好む批評家がいた中で、具象的な傾向を持つ作品を制作するアーティストが台頭した。しかし、よく知られている他のアーティストとは異なり、ネリは絵画ではなく彫刻に傾倒した。

ネリは早くから、ボール紙、針金、布、新聞紙などの安価な素材を使った作品を制作していた。当時のアメリカでは、日常的なものを彫刻に取り込み、芸術と生活の境界を取り払おうとしていた。その後の作品は、よりエレガントな美しさを持つようになっていく。石膏、ブロンズ、金属など、昔から彫刻家が使ってきた素材を使って人間の形を作るようになるが、ネリの作品は伝統的とは言い難い。むしろ、よりコンセプチュアルなものを目指していた。

ネリは次のように語っている。「私は人のボディランゲージ、動き方、姿勢が好きだ。顔とはほとんど関係がないのでね。“顔”を扱いたくないために頭を外してしまうこともよくある」

ネリの作品は、ベイエリアのアートシーンにおいて非常に重要であると考えられているが、カリフォルニア州の外ではあまり評価されていない。  - OCTOBER 22, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

カリフォルニアのレジェンドである巨匠はしかし、他国での評価は低い。地域に愛された彼の作品は「彫刻」であるという記事。

まるで不器用に作品を生み出し続けた巨匠のひたむきさは現代に、価値を問う。彼が彫刻というフォーマットを選び、彼の作品を選んだベイエリアの陽気な人々はそこに、なにを観たのだろう。

『 最適化と無駄、それぞれに異なる作品効果 』

創りやすい作品が良くない、などと言うことはないわけで。ただ、カフェでサインに応じながら相手を激怒させたピカソを想うと、創作への意識が変わる。

「ファンです!この紙に一つの絵を!」すると、さらさらと応じたピカソが言う。「どうぞ。1億円です」「そ、そんな!たった30秒で描いた画に法外な!」「30秒? 30年と30秒ですよ。」

最適化された創作の本質にそれまでの過去が繁栄されているなら、価値であろうしかし、素人による想いつきの表現が“近代ガジェットとプラットフォームへの依存”によるなら、それはその他多数の中の一つに過ぎない。

いっけん“無駄”だと想える創作活動の遠回りが、他者に真似のできない唯一無二を生む。

『 合理化できない表現に宿る価値 』

無駄な手間、それは他者が真似できない路だ。そうであればその作品は、他に例のない作品である可能性が高い。前例の内作品には“価値”が宿り、支援者との出逢いに遭遇すれば、世に巣立つ。

無駄を排除する最適化は一方で、価値を排除する惜しい選択でもある。無駄を愛し、無駄を洗練し、その果てに視覚化できる作品が誕生したならそれは現代のプラットフォームとガジェットを凌駕する可能性である。

『 理解すれば、選べる 』

とはいえ、デジタルネイティヴにしてアナログ知らずな世代が台頭している現在、老犬による“アナログ信仰”は見苦しい。タスクを最適化しさえすれば新たな創作への可能性を手に入れる機会が増えるのだから。

だからこそ、「アナログ」を手に入れるべきだ。
現代アーティストの多くは“アナログ”に、劣等感を持っている。自身が表現できないまるで、ロストテクノロジーのように感じているのだ。なるほど劣等感ではないのだとすれば、興味を逸している。これではどうか。この二つだけで、現代の若手アーティストの過半数を網羅できたことを確信している。

「選べる」という価値を手に入れてはどうか。
アナログは、手に入る強烈な選択肢である。

『 編集後記:』

銀座の個展会場に、お子さんがいる。6歳ぐらいだろうか。
“アニメーター個展”なのだから当然かとも想いきや少年は、“鬼滅の刃”を観たことがなく、ギャラリーの機能として設置されている“モニターと配線マニア”であった。「モニター、いくら?」EIZO社のカラーグレーディングモニター似ては届かないだろうが熱心な彼に使途を説く時間は、けっして無駄ではない。あの純粋な瞳が感情に委ねてころころと切り替わる様は、高性能モニターでは表現できない豊かさで。

無駄を愛して価値を信じる、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記