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【選ばれるより、選ぶ】アーティストは誰の作品を創っているのか

アーティストの多くは、作品を価値化した経験がない。誰かが創った企画の中で受注仕事を生きている限りその創作は、“素材”とされる。このトピックでは、「自身を正しく価値化する方法」を、知ることができる。自身の作品価値を言葉にできないことは元より自身の価値を証明できずしかしプライドだけは最上級なアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティストは仕事を選べるのか 』

受注仕事を生きるアーティストを、愚弄できる者はいない。彼らはこそ業界を支える勇者にして、マーケットの嵐を越えて観客を満たす英雄なのだから。しかし、プラットフォームとマーケットの加速度的な進化により彼らはいま、命を削る生活を強いられている。“辞めればいい”という声があるなら少し堪えて欲しい彼らの闘いは“仕事”ではなく、生き方なのだ。受注仕事を生きるアーティストの悲鳴は、命の叫びである。

いま、アーティストは試されている。

世界中で同時多発的に、気付いた者たちが行動をはじめている。
アーティスト、その本質的な価値を観つめていた理解者たちが職務を越え、業界を超えて活動をはじめたのだ。アーティスト、その相応しい近未来のために。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:注目すべきコレクター:映画プロデューサーのマイケル シャーマン、「アートの購入はキュレーション プロセスだ」

マイケル シャーマンは、マウリツィオ カテランのドキュメンタリーを制作したり、リチャード ライトの『Native Son』をラシッド・ジョンソンと共同で映画化する前に、2011年にロサンゼルスに購入した新居をアートで埋め尽くそうと考えた。当初、シャーマンは、「自分のことを知らない人には何も売ってもらえない」という理由で、アート市場に参入するのは難しいと感じていた。

2014年、彼はアート作品の購入を続け、小規模なギャラリーから購入するようになった。また、当時はまだ黎明期だったInstagramで、アーティストに直接連絡を取るようになった。「私は今でも発見することが好きです。私の好きな収集スタイルは、自分で誰かを発見することです」と語っている。

プロデューサーとしてのシャーマンは、今日の最も差し迫った問題に焦点を当てたドキュメンタリーに出資している。

シャーマンは、収集は映画製作と似ていると考えている。「なぜなら、どちらにも“キュレーションのプロセス”があるからです。そして、どちらのメディアでも、先住民のアーティストの作品を収集することに重点を置いて、語られることのないストーリーを追求しています。私は、"流行のアーティスト "や "アート界の寵児 "ではないアーティストを集めようとしています。いつの日か、自分のコレクションのためのスペースを開き、これらのアーティストの作品が互いに対話できるようにしたいと考えています」

コレクションやプロデュース以外にも、シャーマンは現在、美術館の顧問や評議員を務めている。「若いアーティストたちを美術館に定着させることは、私の義務だと思っています。 - OCTOBER 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

映画プロデューサーが美術品のコレクターとして、注目を集めている。彼は新人の発見に意識が高く、若いアーティストと美術館をマッチングさせる意図がある、という記事。

映画プロデューサーが、芸術業界で名を馳せる。奇妙に聞こえるこのアクションも一転“若手発掘”という視点で観ればまさに、天職。誤解なきように補足しておくが、“映画プロデューサー”はれっきとしたアーティストであり、未知数からストーリーを紡ぎ、雑多を価値化するプロフェッショナルである。

『 仕事を選べないのは、自身を知らないため 』

業界、ましてや企業の中にいれば、新たなアクションを起こせないことは致し方ない。それもまた必要な選択であり、その者なしには業界も社会認知も成り立たない。ならば、気付かずにいられると好いのだが。

映像業界に生きて今年で35年のわたしはしかし、指では足りないほど大勢のアーティストたちの後悔を耳にしてきた。アーティストの“黄金期”が創作人生の僅か「4年間」であり例外がないことは統計が証明している。その先で、ピークを過ぎさらに加齢による技術力の低下が顕著になるころ、アーティストたちの一部は、“自作”の為に生きなかったことを悔いている。

受注仕事は、他者の成果である。
枯れて泣いたアーティストたちは、「自作」を生きたがった。

わたしはこのシンプルな二つの状況に、答えを出したいとは想わない。必要なのは“選択肢”であり、悔いる前に「選べるアーティスト人生」を用意しておけばいい、そう感じている。こんな時に頼りになるのが、国際的に成功しているアーティストたちの生き様だ。

彼らは自ら「選択」した結果を生きている。選択肢を用意できていた、ということだ。その方法は、実に明快だ。

「自分を価値化」する、ということ。自分の“評価価格”を明確にすることだ。

『 相応しい仕事 』

自分の価値を知ったアーティストの行動は、激変する。自分と等価値の仕事を見極められるようになれば、断るべき仕事が判るのだ。自分価値以上の仕事は、危険であり、チャンスではない。自分価値以下の仕事は価値を下げる負の連鎖でしかない。そのアーティストに相応しい仕事とは、“自分と等価値の仕事だけ”なのだ。

等価値の仕事は当然に、成果を出せる。評価が上がる。実績が安定する。しかも自分価値以下、自分価値以上の仕事も断っているわけだから時間がある。その残された時間に、近未来へのチャンスが秘められているわけだ。

ちなみに、自分価値以上の仕事を断ることは成功を遠ざける、と考える人々がいる。なるほど、だから彼らには実行力が無い。“自分時間”を活かしたアーティストがどれだけの成果を挙げるかを、知るといい。

『 自身に残された時間だけが、アーティスト時間 』

等身大の仕事だけに注力して完成度の高い成果だけを積み上げながら、多くの時間を用意することのできたアーティストたちはついに、近未来へ、創作人生を推し進めることができるようになる。
それが、「自分の作品」を生むことだ。

アーティストはそこに、全存在意義を投入することだろう。悔いない創作人生を描くだろう。その迫力、深奥なる覚悟、誰にも気兼ねしない大きな想いは観客を魅了し、ついに“自分だけの成果”を生み出す。その成果が、人々へと伝搬されたとき、アーティストは、成功者となる。

『 編集後記:』

趣味にも遊びにも休憩にも興味がなく、平穏や安泰を停滞と同義語だと感じてしまう魂がまた、新たな活動を脳に命じる。毎日の新たな出逢いから、新たな企画が走りその為に事業化され、また出逢いが増える。

とても素晴らしいし、願うには贅沢すぎる好機であるのだが臆病なわたしにはどうも、楽すぎる。わたしは楽観の反対に巣くう種族であるので、徹底的な調査とシミュレーション無くしてノリでは動けない。これまで共に闘ってきた仲間を新たな舞台に押し出す場面においては、尚更だ。

太一は慎重過ぎる、と呆れる声も耳に届く。光栄だ。ギャンブルはしない。徹底的な検証の果ての結論こそがスリルであり、楽観な決断はただの“危険”だ。わたしは仲間と観客の為に、スリルを選ぶ。

限界を重ねて非日常を描き出す、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記