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伝える覚悟

個人の情報発信が日常化した現在、演出された作品がメッセージを伝えることには、覚悟が必要になる。どんなに技術と時間を投じても、人々の心には届かない時代なのだから。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “種あかし” で興味をひくことの危険性 』

マジシャンの動画配信に、観客が集まらない。地上波TVをはじめ茶の間を熱狂させたにも関わらず、進化したマジックでありながら。観客はとうとう、その先を求め始めているのだ。“種あかし”を。

マジシャンにとって種あかしは当然、諸刃の剣である。どんなに努力家の天才であっても種明かしが演目のクライマックスだと認知されてしまってはもう、種の開発と練習は、追いつくはずがない。目先の評価を得るために、演者生命を投げ出さねばならないのだ。

タレントは元より、女優俳優はてはアーティストまでが、プライベートという種あかしと交換に、この瞬間の延命措置を選んでいる。それは危険であり、悲劇の結末しか描けない。


『 YouTuber が変えた観客意識 』

というのは、少し前までの識者認識でアる。それは、著名人たちがまだ不器用で、セルフ ディレクションの技術を持たず、セルフ プロデュースの基礎知識すら持ち合わせていなかった頃の話なのだ。その頃の彼らは幼く、戦略も無いままにただ最高機密の“日常”をさらけだし、時には自らのプライドを傷つけながら、興味を持たれ続けることを優先した。

しかし、一般人たちの中から現れた新たな表現者たちによって、“種あかし”というエンターテインメントが誕生した。そもそもが世間になど知られていない一般人は表現者たる自身を演出し、誇張し、時にはCGキャラクターに置き換えてまで、架空の自身を創造し続けている。それまでの著名人たちと異なる点はそれがTVプログラムや映画、著作や報道のステージからではなく、自宅の一室やアパートメントの壁前から発信したことだ。包み隠しようのない素人の舞台は、リアリティを感じさせる。そこで行われる演出と誇張はまるで、毎朝みかけるクラスメイトや家族のような親しさで、観客たちに受け入れられていく。その凄まじい浸透力は、彼らを目撃するメディアが既存のTVやスクリーン、新聞や書籍ではなく、コミュニケーション ツールの携帯電話だったことにある。掌に収まる活字よりもパーソナルな距離感で彼らは、視聴者個人に直接、表現を続けているのだ。“種あかし”というタイトルの創造、最先端のコンテンツを。


『 プロフェッショナルの演出術 』

創作活動をしている仲間たち、この記事を一読している貴方は少なからず、なんらかの表現者であるはずだ。なんなら、アーティストでもあり、プロフェッショナルのクリエイターだろう。隠す必要はない。昔ほど尊敬などされてはいないのだから。

ならば、

今こそ、プロフェッショナルの “種あかし演出” を創作してみてはいかがだろうか。かつて、人類が生み出してきた創作作品を「どうせ嘘話の再現演技ぢゃん?」と表した天才がいた。ルーブルの要塞に格納されている人類の至宝を一言、「過去の廃棄物」だと結論づけた若き才能があった。

それは、少し前までの話だ。

“種あかし演出”、それは高度な技術や膨大な職人時間を投じる大作のことではなく、“まるで日常” だと想える一般空間を、“演出”する作品のことだ。

たとえば、ひとつの「 Zoom会議 」から。

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照明を組んでみる。調光、色温度、Hue(色相)までも調整可能な密集マトリックスLED光源に、大きなフレネルレンズを装填してしまったらどうだろう。

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高音質を狙いすぎてコンデンサーマイクを引っ張り出せばむしろ、余裕がなさすぎる。NEUMANNのU87Aiを隠してブルース用のハープマイクの音声で、自作のコネクターからCANAREのケーブルを通す。ミキサーを介して残響演出も欠かさないなんてどうだろう。

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不安定なオープンソースのOBS Studioを使わずにLiveスイッチャーを導入し、資料の共有からワイプ処理までをマルチモニタから、演出しすぎてしまうのはどうだろう。

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F値1.2の大口径単焦点開放のカミソリフォーカスを活用するためにマットボックスに可変NDを導入して、映画さながらのボケ背景を披露しながら、瞳オートフォーカスを駆使した自在な体制移動を実現してしまってはどうだろう。

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なんなら密かにルーズとバスト、2×Cam.スタンバイ。小型照明のMC-4をアプリで同期させて、ランダムに行きかう一般家庭環境の平穏を演出してはどうだろう。

いま必要なのは技術や時間ではなく、“日常のなかの演出”だ。さらに、創作されたコンテンツにはまた、努力や金が滲んではいけない。そんな安い表現は、自己承認欲求を抑えられないキャリア10年の駆け出し新人にくれてやれ。所有価値という幻想が瓦解した現代、独自の価値観をこそ、創造すべきなのだ。

Zoom会議という単発作品なら今年のうちはまだ、この程度でも十分だ。映画本編の製作環境は、より劇的に進化している。現場の人数を減らし、距離を置くためのVFX技術や、VR.技術の導入だ。ド派手を売りにする時代は、終わった。ご興味あらばいずれ、具体を案内していこう。
あぁ、ところで。

まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:フランスのオスカー「セザール賞」で、受賞女優が血塗れ演出の全裸で講義「首相、映画館を再開させなさい」

女優コリンヌ マシエロが衝撃の抗議活動を行った。事態は、フランスの“オスカー”に相当する最高権威「セザール賞」の授賞式、その壇上で起きた。パリのオランピアコンサートホールで開催されていた第46会セザール賞アワードナイトのスピーチ壇上にマシエロは、“ロバ”の扮装で登場。主演女優賞ノミネートの経験もある大女優はやがてロバを脱ぎ捨て、血塗れの姿を露出。一糸まとわぬ肉体には「文化も未来も無い」と書かれていた。彼女は、政府が映画館を3ヶ月にわたり封鎖していることを指摘。退出する彼女の背には、“芸術を返してくれ、ジャン。”とあり、首相のジャン カステックスに向けられたメッセージだと考えられた。他にも映画監督でプロデューサーのステファン・ドゥムースティエは、「私の子供たちはZARAに行くことはできるしかし、“映画館”に行くことは許されない。」と主張した。- MARCH 13, 2021 BBC World NEWS -

『 編集後記:』

彼女の抗議がどのくらいの影響力を持ち、現在を過ぎた未来にどのような価値を導くのかは判らない。しかしそれはニュースとなった。どのような賛否があれどわたしは、あえてお伝えしたい。「あなたの覚悟、わたしには届きましたよ」。映画のために生きるなら、これもまたエンターテインメントだ。それもいい。

覚悟を決めて、今夜の映画製作を続けるとしよう。

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