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ドラマチックな演出、もう痛い

登場人物が全員叫んでいるドラマの予告編、大丈夫だろうか。
新作の舞台挨拶で笑いを取りに行く演者、本意だろうか。
拍手を貰えるプレゼンテーションの価値、ホンモノだろうか。

劇的な起伏を2時間の映画に収めようとしてきたわたしは、もう痛い。
始まっている表現の変革、逆読みしてみよう。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最近のはなし: 』

「情報のインプット」、が死語になる日を観た気がした話。

Evernoteが開かなくなった。

ご存じ、クラウド上にあらゆる情報を蓄積できる、便利なクリッピングツールだ。サービス開始から10年間使用し続ける毎日に、大げさでは無く、開かない日は無いレベルに習慣付いていたツールだ。それが、開かない。

理由はともあれ、なんとかクリアもするわけだが、
それまでの膨大な蓄積データにアクセスできない恐怖たるやそれはもう……
と想ったのだが、丸一日経っても、困らない。2日放置してみたが、全く困らない。引き出したい情報はいくつもあったが、Chromeから検索すれば1分と待たずにクリップ元のデータを取り寄せることができたためだ。

勉強をしていると、焦りの動悸を高揚に変えられる。
情報をインプットしていると、自身をアップデートしている気分になれる。
それは、ホンモノの価値とリンクしているのだろうか。

検索は進化し続けている。
もしかして、「情報のインプット」、必要なくなる?

現実逃避は置いておいて、
さて、はじめよう。

『 映画的な演出 』

たとえば、こんな感じ。

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まぁ、映画的な世界であるわけだが。どんなイメージに観えるだろうか。
熱血刑事、ではあるだろう。
そう演出したためだ。

このところ急加速で、「低カロリー コンテンツ」への期待値が高まっている。重厚に練り上げられたいわゆる“ドラマ”よりも、YouTubeの“日常配信”に、視聴者の可処分時間が使われているわけだ。数字にもはっきり、表れている。

『 日常×映画的な演出 』

一方、NETFLIXを初めとする大手ストリーマーは真逆に“ドラマ製作”を加速させているのだがしかし、その映画はまた、“よりリアル”を求めている。まるでドキュメンタリーかと想える作品へと、傾倒している。

ドラマ離れは、顕著だ。それは良いとしよう、無くなりはしない。ただし、架空の舞台設定をリアルに近づけると、映画監督には撮りやすさに反比例した大きな問題が浮上する。リアルな舞台とはつまり、“日常の情景”だ。

こんな感じ。

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これが、貴方が旅先で遭遇した場面だとしたら、
自宅脇の通りで展開されていたとしたなら。

もうこの人物が刑事かどうかの設定など、吹き飛んでしまう。ただ常軌を逸して感情を爆発させる異常者登場、のシチュエーションになってしまう。
日常に近いリアルな舞台の中に、今まで通りの“強い演出”を入れ込むと、日常も演出も破綻してしまう、という例だ。

『 演出という異質な方程式 』

映画の中でドラマを描くために必要で、当たり前だった「演出」。その方程式が、通用しなくなってきている。観客を、信じさせられなくなっているのだ。

映画人たちは自分事として、目の前の命を賭した企画について、シミュレーションされることをお勧めしたい。また、デザイン社会に意識高い情報通の皆さんにおいては、日常に潜む“過剰演出”を見逃していないかどうかに留意すべきだ。

過剰なプレゼン演出、社交辞令の笑顔、慇懃無礼なビジネスチャットにも、過剰演出は潜んでいる。そしてそれは、見抜かれており相手からは、異様な立ち居振る舞いだと映っている。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:アカデミー賞のディレクターを務めたスティーブン ソダーバーグ監督「俳優のスピーチは年々、ドラマチックになっていく傾向がある。そのことに留意し、わたしたちは信念を固めた」

空前の大不評で閉幕した今年のアカデミー賞。最大の要因は、イベントの目玉であった「作品賞」の発表をテレビ放送の序盤に移し、「主演女優賞/主演男優賞」で締めくくるという異例の決断。もうひとつは、そうまでして注目を集めた最優秀男優賞を、下馬評に大きかった故チャドウィック ボーズマン ではなく、“会場に来ていないアンソニー ホプキンス”に与えたことだ。アカデミー賞は、会場で参加していない候補者には受賞させてこなかった歴史がある。ソダーバーグ監督が語る。「わたしたちは俳優のスピーチが、プロデューサーや、誰のスピーチよりもドラマチックになっていく傾向がある、と感じていた。だから、信念を固めた」もしもソダーバーグ監督の“発言が言葉通り”なら、会場にいないアンソニー ホプキンスを選んだ説明がつかない。「もしもチャドウィック ボーズマンが受賞して、彼の未亡人が彼の代わりにスピーチをしたなら、と考えた。それ以上のドラマチックな表現は無く、我々は以降には何も喋れなくなるだろう。だから私たちは、こだわりました。信念に」もしもソダーバーグ監督がしっかりとアカデミー賞を最大の盛り上がりで終えようとしたなら、受賞スピーチ無しの授与を許すはずが無い。むしろ、受賞コメントを得ようとした、とすら考えにくい。なにしろアンソニー ホプキンスは受賞発表の瞬間、英国ウェールズの自室で熟睡していたのだから。 - MAY 05, 2021 THE PLAYLIST -

『 編集後記:』

なお今回のアカデミー賞、ヨーロッパでは“異例の”絶賛を受けている。

テレビ番組である米国アカデミー賞は未だ、映画賞とは認められていない。カンヌ、ベネチア、ベルリンの三大国際映画祭ははっきり、なんなら愚弄している。事実だ。

映画「オーシャンズ11」シリーズのような“The娯楽大作”でも連勝する彼が、アカデミー賞放送の観客心理を、読み間違えるはずはない。

さすがの、スティーブン ソダーバーグ監督。
これは、本アカデミー賞を「これはボクの、新作映画になる。」と公言して挑んだソダーバーグ監督流、“過剰演出へのアンチテーゼ”である。

受賞スピーチ、登壇舞台、テレビ放送そして、アカデミー賞、
その価値を再定義するための、カードは切られた。

華やかな舞台に続く闇のスタジオから、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

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