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平戸で歴活 その2前編 (2020/11/22~23)

今回の旅の主な目的は、海外交流に関わる史跡を廻ることでした。
その2前編は王直、ザビエル、三浦按針関連史跡を紹介します。

平戸で歴活 その1はこちら


①王直屋敷跡

後期倭寇の頭目、王直は平戸領主、松浦隆信(道可)の庇護を受け、天文10年(1541年)領内に邸宅を構えた。

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城下にある王直の像。

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②六角井戸

長崎県指定文化財 「平戸の六角井戸」。
王直屋敷跡の近くにあり、日本にない形状の井戸で中国との交流を物語る。長崎県内には五島列島の福江島にも同様な井戸が現存する。

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③ポルトガル船来航記念モニュメント

天文19年(1550年)、ポルトガル船を平戸に導いたのも王直といわれる。ポルトガル船は天正14年(1586年)まで22隻来航するも1561年、平戸でポルトガル人と日本人の間に殺傷事件(宮の前事件)が起き、ポルトガルとの交易拠点は次第に大村領内に移っていく。

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④ザビエル記念碑

フランシスコ・ザビエルは平戸を三度来訪。二度目の来訪(1550年9月)時、2ヶ月の滞在で100人に布教したという。

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⑤ウィリアム・アダムス(三浦按針)像

城下にあるウィリアム・アダムス(三浦按針)像。
慶長5年(1600年)オランダ船デ・リーフデ号が豊後国臼杵に漂着。航海士であったウィリアム・アダムスは徳川家康の庇護を受け、三浦按針と名乗り幕府の外交顧問として重用される。
アダムスの仲介により1609年平戸にオランダ商館が、1613年にイギリス商館が設置され、平戸はオランダ、イギリスとの貿易で繁栄する。
アダムスは1620年5月に平戸で死去。

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⑥伝、三浦按針の墓

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 この三浦按針のものと伝承されている墓については、2017~2019年に平戸市が発掘調査を行い、出土した人骨は分析した結果「10年以上、日本に滞在した北・西ヨーロッパ人の男性」で「死去した時期は按針の没年も含まれること」から三浦按針である蓋然性が高いと思われるが「確定には至らない」と慎重な議論がなされている。


⑦按針の館跡

現在は老舗の和菓子屋「平戸蔦屋 本店」になっている。

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その2後編に続きます。

平戸の観光については以下ご参照に。


三浦按針墓の発掘調査については、東邦大学のプレスリリースをご参照ください。

平戸蔦屋のHP

*この記事は2020年11月24日のFacebookへの投稿を加筆・修正したものです。


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