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日本近代統計の祖、杉亨二(すぎ こうじ)

国勢調査に関連して、長崎出身の日本近代統計の祖、杉亨二を紹介します。

1828年、長崎生まれ。幼くして両親を亡くし、10歳の頃、時計師上野俊之丞(上野彦馬の父)の店に奉公に出る。長じて大坂の緒方洪庵の適塾や杉田成卿(杉田玄白の孫)の門下で蘭学を学び、勝海舟の私塾で塾頭となる。

その後、勝海舟の推挙により老中阿部正弘の侍講となり、1860年に幕府の蕃書調所の教授手伝、1864年に開成所教授に挙用され、蘭書翻訳に関わる中で*統計学を志す。

明治維新後は静岡藩に仕え、1869年に人口調査「駿河国人別調」を実施するも、藩上層部反対で一部地域の調査となる。

その後明治政府に仕え、1879年に日本の国勢調査の先駆となる「甲斐国現在人調」を甲斐国(山梨県)で実施。その後は統計行政に携わる中、統計専門家や統計学者の養成にも力を注いだ。

1915年に勲二等瑞宝章。1917年12月4日に90才で没。墓所は豊島区の染井霊園内にあり。

出身地である長崎市の長崎公園には杉亨二の胸像があり、毎年命日である12月4日には長崎市統計課が献花式を行っています。

長崎市の諏訪神社にある胸像

以下は長崎市のHPに掲載された2017年の献花式の記事です。

*この記事は2020年10月4日のFacebookへの投稿を編集したものです。

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