戦え!ダシガライダーピンク!⑥

承前


やさしいやさしい、機械仕掛けの神様。

あなたのおかげで、この世界は救われました。

《海》に堕とされた哀れな子らは自らの足で歩むことを始め、万人がいずれ必ず堕ちる地獄はもはやわたしたちすべてを責め苛むことはありません。

救われざるはただ一人、世界に弓を引いた悪の科学者。自業自得のいじっぱりな露悪趣味のおかげで、僅かに残された地獄の底で世界の終わりまで責め苦を受けることに。

大人のわたしはそれを受け入れます。あなたが子供でいてくれるから、わたしは大人として振る舞える。

あなたが子供でいてくれるから、自らのルーツ──フー・ダシガラットのことを忘れ、世界と共に彼女を地獄の底へと追いやりながら、陽の当たる地上へと帰ることができる。

あなたが子供でいてくれるから、わたしの過去を、彼女との過去を語らないまま、このハッピーエンドを受け入れた神を理解することができる。

"あなた"が子供でいてくれるから──


──そして、子供の"オレ"は、貴様らの事を絶対にゆるさない。


「『この物語はパラレルです。』ってやつ、わたし嫌いなんですよね。」

打ち砕かれた鏡の先、地獄の底に穿たれた拒絶の向こう側。

「心配しなくたって、面白くなければみんなスルーしてくれますよ。わざわざ言うこと、無くないですか?予防線張ってるっていうか……」

「今すぐその娘の口を借りて喋るのを止めろ。」

地獄はいつだって望まれて存在する。
そして、真なる地獄は外部から設定されたものではなく、内から出でて己を縛るものであろう。

「貴様は醜悪だ。今更何をしに来た。オレは貴様の事を絶対にゆるさない。」

自分以外の世界の全てを"パラレル"だと見做し、内向きに並べた《鏡》で己を囲う、それは合わせ鏡の牢獄。そこに、招かれざる少女──神の姿がある。

「この結末を受け入れた世界も、大人の"わたし"も。オレにとっては無関係(パラレル)だ。貴様がここに存在する事を誰が許した。今すぐその子を地上へと帰せ。」

「今のわたしは神様ですから。誰の許可も要りません。やりたいようにやるだけです。」

「ここは、オレの、地獄だ」

バキバキと音を立てて、無数の《鏡》が立ち現れる。

「世界の終わり、神々の黄昏の先で救われる権利はないと、オレが決めた。彼女と再開する資格もないと。貴様にそれを取り沙汰される理由はない。」

「地獄の底にさらに地獄ですか。自分かわいそう自慢も度が過ぎてます。『合わせる顔が無いから引き篭もります』ってのもお子ちゃまっぽいですね。流石は子供神父さん。」

鏡の先、無限に広げられた相対距離。しかし神の目は捉える。小さな人影、睨めあげる目。

「ほざけ。オレは貴様を否定する。」

「そうおっしゃらず。お届け物ですよ。」


"神速"と定義された光り輝く片翼が、セミコロンの暗闇を鋭角に切り裂く。横薙ぎに繰り出される鏡を蹴り渡り、行く手を阻む鏡面を"無敵"と設定された拳が叩き割る。
境界を侵す禁忌に刺々しい破片が降り注ぐが構いはしない。今のわたしは全知全能の神だ。

「こんな鏡の......一枚二枚!」

三枚目。一際巨大な鏡にわたしの拳が突き刺さり、鏡面全体が走るヒビに白く濁る。神の拳を阻めるものか。もう一撃、と足を止めて右腕を大きく引き絞るわたしのすぐ背後、音もなく鏡が出現する。

狙いは輝く片翼。鏡面を断面として半ばからあっけなく切断される。裏付けのない"神速"が否定される。

即座に裏拳を放ち背後の鏡を破壊。回転の中で光り輝く大鎌を取り出し、遠心力を乗せて鏡面に叩きつける。相殺。破片の雨が鋭さと激しさを増す。ベルトに深刻な損傷。


──当然の帰結だった。《パラレル鏡》は神の傲慢をこそ阻む為に創られた、己の世界を守るための盾、他者の干渉を断ち切る為の剣。

ここはオレの地獄だ。禁忌を犯した貴様には、もはや地の文をほしいままにする力もない。

傷ついたスーツから火花を散らしながら、尚もあゆみを止めない神の前に執拗に鏡を繰り出す。速度を失った以上全てを割り砕くほかはなく、その度に傷は増え深まってゆく。右、左、右。伸び切った右腕、その肘先を、ついに鏡面が捉える。

神が激痛の予感に無様にも身を竦ませるが、それは腕の切断を意図してのものでは無かった。断ち切るのはスーツ。神の力。

身をよじり、左拳を突き立てようと右腕が鏡から解放されることはなく、それどころか鏡面を起点としてスーツが崩壊していく。戦う力から切り離された彼女には拳を握る力すら無く、手のひらで虚しく鏡を叩くのみとなる。

縫い止められた少女の背後、上下左右に鏡を配置する。以って合わせ鏡の牢獄は反転し、パラレルの向こう側へと彼女を送り帰す事だろう。


──鏡を叩き、わめき、叫ぶ。無限に連なるわたしの鏡像が、無為な試みをじっと見ている。お前の意志はどこにも届くことはなく、言葉は誰の心も揺らす事はない。全ては虚しい一人遊びに過ぎないと言う事実を、ことさらにわたしに突きつけるように。

凍れるような虚無感に、熱が、意志が、暗黒に呑まれてゆく。ここで意識を失えば、わたしはきっと陽の当たる教会で目覚める。柔らかい風が吹く中で、ほうきをかけながら神父さんの帰りを出迎える。日常は和やかに廻り続けるだろう。──永遠に報われざる後悔を、暗い《海》の底に置き去りにしたまま!

「──どうか!」

わたしは声を張り上げる。──思えば、いつだってそうだった。

「どうか!」

鏡の向こうへと唯一突き出した右手。ずっと握りしめていたそれを、手首の力だけで投げ放つ。──世界を自分の視座で切り取る万能も、他者の人生を規定する全能も。ふるうに当たって、常に傍にあったのは、こいねがうような切なる祈りばかりだった。

「どうか──」

それは、金色の指輪の形をしていた。《パイライトの指輪》。水底の思い出。ゆるゆると頼りなく──千の言葉に万の描写、気の遠くなるような無限の積み重ねの果て。その全ては、

「────つながって」

たったひとつの祈りのために。


こつん、という小さな音。投げ放たれた祈りはあっけなく、小さな拒絶に阻まれて、かえりみられることのない闇の底に沈んでゆく。




ふと、震える手が、沈みゆく指輪を受け止める。

それは鏡の向こうから差し出された、小さな子どもの両手だった。おずおずと、恐る恐る、鈍い輝きを握りしめ、ゆっくりと胸に近づけていく。


――割れ砕けたのは鏡か世界か。


雨と降り注ぐ破片のするどさはくだり落ちるほどに柔らいで空気を孕み、ちぎれた世界の白がはらはらと少女の周りを舞い踊る。あたかも飛び立つ海鳥のように。
それは紙片。それは頁。文字、記述、記録。そして記憶。

怒りの赤と嘆きの青に刻まれた、少女の知らないいつかの過去(ログ)。街外れの、とある小さな教会にて。


次話

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