戦え!ダシガライダーピンク!③

承前

頭上高くから桜色の閃光がほとばしり、一拍遅れて爆風がわたしたちの背中を押した。振り返ってはならない。彼女の自己犠牲を無駄にしてはならない。

爆音に紛れて「ああんだーりんちゅきちゅき」とか聞こえた気がするが、よく分からない。ライダーさんが潜行する速度を更に速めるが、何かにイラついているように見えるのは気のせいだろうか。

周囲の暗闇に生まれ続ける影は、レクティアさんが引き付けてくれていた為か、潜るわたしたちを追う事なく頭上へと登っていく。しかし深さが増してゆくにつれ、再びわたしたちの周囲を取り囲むような影が現れ始めた。先程のように襲い掛かってくる事こそないものの、それがかえって不気味だ。

わたしはライダーさんの背中を見ながら、自分の目的を改めて強く意識する。水底に辿り着き、そして――。そこまで考えて、ふいに申し訳なくなった。身勝手で衝動的なわたしの行動に付き合わせて、こんな危険に巻き込んでしまった仲間達のこと。

エンキドゥさんからベルトを受け取り、楽屋裏から出てきたわたしを待ち構えるように、完全装備の彼らはそこに立っていた。ライダーさん曰く「俺たちも行く」。協力者が増えた思わぬ心強さに浮かれ、移動手段を耳にしたレクティアさんの顔面蒼白ぶりに気づくこともなかった。無茶は元から承知の上だが……


「すまないなピンク。俺の卑屈さがお前に移ってしまったようだ。」

声に振り返ると、闇に浮かぶ"S"と"M"のトレードマーク。我らがヒーローショーの二大看板の一人、ソーリーマンさんは常と変わらず一歩引いた立ち位置から、わたしやライダーさんのことを見守ってくれているようだった。

「だが、お前が申し訳なく思う必要はない。俺たちにはそれぞれの目的がある。多分、レクティアの婆さんにも。」

夢見がち社会不適合系ヒーロー・ダシガライダーと、悲観主義的卑屈系ヒーロー・ソーリーマンのライバル構造とは、随分攻めた配役だとチームに入った頃は感心したものだ。一発企画ではないどころか他の衣装も役柄の用意もないと聞いて途方に暮れたのも懐かしい。

「気に病む必要は何もない。ここに俺を置いて先に進む事を。何故なら、俺の目的地はここだからだ。」

それでも、対照的な二人のヒーローのデコボココンビは、傍目から見ても上手く回っていた。思いつきや勢いでショーを牽引するダシガライダーさんと、現実的な視点に立って時に諌めて制御するソーリーマンさん。時折顔を覗かせる度を過ぎた悲観と自虐を除いては、レクティアさんが参加するまで唯一の「まともな大人」枠だった。

「おいテメェ、スマン!遅ェぞ!何してやがる!」

先行していたライダーさんが私たちを見上げて怒鳴る。ややこしいが、彼の言う「スマン」とはつまりソーリーマンさんの愛称だ。社会不適合系ヒーローであるところの彼が他人に謝意を向ける事はまずあり得ない。

「ライダー、お前にもわかるだろう。影の密度が増している。レクティアばあさんが言う通り、"スルー"を続けているうちは襲われる事はないようだが……しかしこのままではまたいずれ、押し退けて進む事になる。誰かが残って、引き受ける必要があるのさ。」

彼特有の悲観的観測というわけではなさそうだった。もはや影の合間を縫って進む事すら困難になって来ている。しかしソーリーマンさんに、頭上高くで行われているような"本物"の大立ち回りができるとは思えない。

「最後までついて行けなくてすまない。だが、少なくともこの窮地を凌ぐ一助にはなろう。……俺の卑屈さは、この《海》には深く徹る。」

なおも躊躇するわたしの腕を取って、ライダーさんが潜行を再開する。彼の小柄なシルエットは瞬く間に影の群れに阻まれ見えなくなってしまった。遠ざかるわたしたちの周囲に影が現れる事はない。まるで彼を目当てに――彼から放たれる何かに引き寄せられているかの様だった。

「気にすんな、ピンク。言ってたろ、奴の目的地はココだって。深くも浅くも無い海のど真ん中。俺たちとは別、それだけだ。」

わたしは涙を拭って闇の底を見据える。暗闇に対する不安も、行く末に対する悲観も、全て彼が引き受けてくれた様だった。ただ目指す場所、水底へ。

***

謝罪という行為は、時に浅ましく利己的なものだ。

彼にはそれがよくわかっていた。彼をこの世界に産み落としたのは、一柱の神による、そうした振る舞いによる零落であったから。

――わたしは卑しい罪人であり、罪状はこの通り重々承知しています。

――だから、どうかわたしを責めないで。わたしの罪をあげつらわないで。

それはありふれた悲劇だった。ちょうど、物を知らない子供が怪我をするような。だから世界は彼を必要とした。教訓として記憶にとどめ、それが繰り返されることのないように。

戯画化された卑屈さに寓意を、嘲笑を誘う禿頭に戒めを負って。

「だが、そんな役目ももう終わりだ、――なぁ、"兄弟"。」

彼は呟く。目の前の影は、どこか彼に似ていた。

――自分の考えたキャラクターで、自分の考えた物語を描きたい。

――自分だけの力で、思いつくままに風呂敷を広げて、誰もに望まれる作品を。

それはありふれた悲劇だった。ちょうど、物を知らない子供が怪我をするような。だから世界はこの場所を必要とした。教訓として記憶にとどめ、それが繰り返されることのないように。

顧みられることのない暗闇に寓意を、寒さと嘆きに戒めを込められて。

本来、素人創作がその途上で頓挫することは単なるありふれた事象に過ぎず、そこには罪も罰もない。参加型創作コミュニティにおいて、個人の創作物が誰からの支持も受けられずにフェードアウトしていく事に、大した意味などありはしない。ましてや"その先"など。ただ一律に、無機質な行き止まりが在るだけだ。

ある時、誰かがそこに意味を見出した。怒りからか、憂いからか。或いは憐れみによるものだったかもしれない。その現象を罪と定義し、《DATの海》という罰を与えた。行き止まりの先に地獄という形の未来を与え、意味と価値を創造した。それが多くの者に支持された。そうして今、この場所がある。

健全なコミュニティの発展の為、無謀な参加者への牽制の為。理に適った設定、スパイスの効いた皮肉。しかし、零落した神そのものである彼には、この《海》がここまで強固な形を保っている本当の理由が見えていた。既に救われた筈の《海》に、こうしてわだかまり続ける淀みの正体も。

そう、この《海》は救われた。物語の力によって。ある科学者の企みによって。錬金術を学んだ住民達の自助努力によって。「参加型スレッド」という世界の形が終わりを迎えた今、教訓としての役割を終えた事もその理由の一つであろう。

では、未だ残る闇は、寒さは、影の悪意は?
未練がましくありやなしやの過去を語り、過去を騙って生者を害するその邪悪が、自らを救い救われた、《海》に堕とされた側の彼らものであるはずがない。

その邪悪は我々のものだ。
語り尽くせなかった後悔。
繋がることの出来なかった不甲斐なさ。

罪も罰もないただの現象を前に、しかし誰もが抱きうる普遍的な感傷。本来寄る辺なき、何と名付けられる事のない筈のそれが、《DATの海》という地獄の中である方向性を得、形を成して集積していくのは自然な事だった。

――罪悪感。

今この《海》を汚しているのはそれだ。
闇は造物主の後ろめたさの投影であり、凍える寒さは被罰願望の仮託に過ぎない。

ならば、この卑小の身にも出来ることがある。彼は、そう考えていた。

「――語り尽くせず、すまない!」

彼は膝をつく。床などない。漠然とした《海》中の闇。しかし、彼が膝をついた箇所こそが床/地面/最下層と定義され、天と地とが切り分けられる。

「――繋げられずに、申し訳なく思っている!」

概念床に厳かに付く両手のひらの角度は百二十度。眼差しはまだ水平に、遥けき闇へと向けられている。

「――だが!誰にも許してもらおうとは思わん!」

顎を引き、上目に睨む眼には完璧な所作に相応しからぬふてぶてしさが輝いている。元よりここには罪も罰もなく――しかし、本来行き場の無い筈の謝罪を、向ける相手に恵まれた不思議に彼は感謝していた。

「――これはただ、俺自身がスッキリする為のものだ!」

謝罪という行為は、時に浅ましく利己的なものだ。
それを体現する存在として、この役目は己にこそ相応しかろうと、彼は思う。世界を汚す後ろめたさのその一枚でも晴らせるのなら、堕ちた身で過ごした陽の当たる日々に、一片の憾みもありはしない。

「これが俺の――最後の謝罪だ。」

ベルトに嵌め込まれたソーリーストーン――《謝罪の賢者の石》の輝きを、傾けられた禿頭が拡散する。渾身の謝罪はどこまでも白々しく、《海》を覆う薄闇を晴らしてゆく。

***

次話

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