Who?ダシガラットの日常③

承前

画像1

「――謎の人物って言葉が、こんなに似合う人はそうはいませんよ。」

前にこの口上を述べたのはいつのことだったか。確か、ある気の毒な新聞記者に対してだった気がする。

「名前は『フー・ダシガラット』。職業は『Scientist(科学者)』。」

後天的な身体障害により手先系技能に大幅なマイナス修正を受け、バーテンダーとしては無能の称号を欲しいままにするタカラード・G・シェンク。しかしそれでも、モナーブルグは職人通りに看板を掲げる酒場の主人(マスター)。情報を扱うプロフェッショナルとしての矜持は持ち合わせているつもりであった。

「兄が経営する私設塾『ダシガラット・アカデミー』非常勤講師。」

それが一度ならず二度までも。求めに応じて何一つ有益な情報を提供できないという現実に、忸怩たる思いは募る。それも個人的に親交のあるごく身近な人物に対してのそれだ。

「彼女が所持する"超人"『ボルトゴッチ』。遺跡より発掘された、13頭身の鋼鉄巨人。」

二度までも……いや、三度か。あれは意外な調査依頼だった。何せ他でもないあの馴染みの錬金術師が、「金に糸目はつけない」とまで言い切ったのだから。或いはまともな情報が出てくる可能性を見切っていたのかもしれないが。ビッグディールも空振りに終われば虚しいばかり。

「……けれど、この街に"ダシガラット・アカデミー"なんて塾は存在しないんです。それどころか『フー・ダシガラット』という名前すら。」

しかし、常に飄々として心の内を晒す事少ないあの時の彼女の――シーナ・タウンゼントのいつになく真剣な面持ちに、「謎の人物」への個人的興味はいやが上にもそそられたものだ。持ちうる手段を取り尽くして謎に挑んだ結果得たのは、深淵を覗くかのような恐怖だった。

「交友関係や家族構成、住所までも不明。尾行も無駄でした。"兄"の存在も、彼女の言葉以外裏付けはありません。」

開店以来、築き上げてきた情報ネットワーク。人の動きは水面の波紋に似て、どれほど遠く小さくともその残響はここまで届く、筈だった。それが宙を泳がれてでもいるかのように、その足跡だけが掴めない。あたかも"はじめから存在していなかった"かのように。

「"謎の人物"と言った意味、分かるでしょう?」

いつも決まって酒場の床板を毀損しながら嵐のように現れては、天井を破砕しながらロケット噴射で高笑いと共に去って行く。我らが最強のウェイトレス兼用心棒・ディートリンデ・キルエリヒを相手にして臆するところまるでなく、常にその場にいるもの全てに対して最大限の印象と衝撃を与えて去って行く台風の目。……それが。


「でぃさん。わたしは……どう受け止めればいいんでしょう?」

酒場の扉はまだ揺れている。
そう、邪魔したわ。静かに言い残し、彼女はそこから店を後にした。
他ならぬフー・ダシガラット、まぎれもない本人……その人だったはずである。

ディートリンデは答えない。揺れ続ける扉を透かして見るのは、白衣の後ろ姿だろうか。

歪みを来した『健全な日常の運営(プログラム)』を前に、その眼差しは冷たく、厳しい。

***

次話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?