日記;この10年と震災

これはただの日記。この10年とあの日の震災を思い返して綴ったただの日記だ。(ただ起こったことや思ったことを書いている)


10年前の今日は中学校の卒業式だった。

卒業式が終わり、いつも遊んでいたメンバーで、いつもの友達の家に行きいつも通り遊戯王カードやゲームで遊んでいた。

何時間も白熱して遊んでいたところ、友達のお母さんが帰ってきて、怒ったような表情で、僕たちはすぐにテレビをつけるよう促された。

言われた通り、テレビをつけるとコンテナが大爆発している映像が映っていた。
最初はわけが分からず戸惑っていた記憶がある。
家に帰り、親からの説明を聞いたり、ニュースで長時間報道されているのを観たりしたことで次第にことの重大さに気づいていった。

当時住んでいたのは福岡だったが、福岡でも東北地方で起こった地震による、微小な波が伝わっていたことは衝撃だった。
何より、テレビから伝わってくる被害の生々しさのインパクトが強かった。


進学した高校には、クラスは違ったが震災の影響で転入してきた同級生がいた。

決して遠い場所の出来事じゃないんだと思わされた。

高校最後の3年生を送る会では、先生たちがみんなで「花は咲く」を歌ってくれた。その影響もあり、復興支援ソングとして作られた「花は咲く」は東北を想う歌でもあり、旅立ちを連想させる歌、ふるさとを思い起こさせる歌、勇気をくれる歌、みんなに会いたくなる歌、あの頃に帰りたくなる歌にもなった。


進学した大学では地球科学を学んだが、その中では地震について学ぶこともあった。
何より、自分の卒業研究のテーマが、巨大地震が起こると言われる南海トラフについてだった。

講義を受けていたときはそこそこに興味を持っていたが(基本的に宇宙を学びたかったので強い熱量がなかった)、卒業した今はもっと真剣に学んでおけばよかったと思う。
特に、関東に住んでいて地震に直面したときや、先日の東北の地震が起こり自分の大切な人たちが危険に晒されたときにそう思う。

そして今日、3.11から10年を迎えて改めて強く思う。

自分はこれから、大学院で微生物についての研究をメインに行うので、地震について取り扱うことはないだろう。が、改めて地震(や火山についても)について学び直そうと思う。

いつかのため、自分のために。


最近、震災に関するニュースを見ることが当然多かった。

その中で、心の傷に悩まされ続ける人や、震災が原因で睡眠剤を飲まないと眠られない人がいることを知った。

心の病気を抱え、医師に睡眠剤を処方してもらうようになった自分としては、決して遠い問題じゃないなと感じた。

また、「復興なんかよりも、亡くなった子どもにもう一度会いたい」と言っている人が印象的だった。

それに尽きるよな。他人がいくら復興、復興言っても本人たちの一番の願いを叶えられるわけではないんだよな。
会いたい相手に会いたいよな。
会いたい相手に会えるっていう当たり前のことはとんでもないことなんだよな。いつも心に留めておかないと。



就職してからは関東に住んでいたため、ずっと東北に行きたいと思っていたが、タイミングがなくいけないままとなった。
今の状況が収束したら必ず行きたい。

同期にも(地名は伏せるが)震災で甚大な被害を受けた出身の子がいて、仲が良く一緒に遊んでいたが、震災のことを話すことはほとんどなかった。きっと強い痛みを抱えていただろうなと思う。


10年。
10年ってものすごい大きな時間だよな。
一方で強い悲しみを癒すにはあまりにも短いだろう。

予想を超えることばかりが起きる日々の連続だった。
生きていれば、数えきれないくらい多くの出来事と人に出逢う。
命とは時間で、生きていられる時間があるから生きていられるんだよな(変な言い方だけど)。

この10年で何が残せたんだろう?

日々をおろそかにしてしまう日の方が多かったと思う。
何気ない日常こそが何よりも大切なものなのに。その何気なさを愛せないことが多かった。

今日は大学の卒業研究発表会だった。お母さんのがん検診の診断結果通知の日で、がんではなかったことが判明した(直前まで腫瘍ががんの可能性があったらしい)。オンラインサロンで、子どもたちが参加しやすいコミュニティづくりについてミーティングに参加した。


いつか終わる時まで、大切な人たちとの時間を大切にしていきたいな。

次の10年、どんなことが起こってどんな人に出逢っていくんだろう?

10年後、ここに戻ってくるかな?

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