2023年10月1日(日曜日)

今日は趣味のスポーツを思いっきり楽しんだ。その中で感じたのは、自分から見るととても大きく変わっているものでも、他の人から見るとそうでもなく、かつそれが武器にもなりうる、という事だ。

今、自分は弱小なチームの投手をやっているのだが、いかんせん土日に趣味としてしか活動していないのと、もともと小さい頃や若い頃にやっていた事でもないため、数年やってもコントロールが全く安定しないという課題がある。練習ならまだまあ皆に笑ってごめんと言えば許されるところもあるが、試合ともなるとちょっとそうもいかないというか、気まずい所もいくら趣味とはいっても正直ある。しかも試合会場はいつものグラウンドと傾斜も凸凹も、また審判(判断基準)も異なり、前日までの練習で安定していた事も、当日の試合では通用しない。そういう事が数年続いている。コントロールが不安定な時には色々試して何とか当日の体調とグラウンドコンディションに応じて自分の投げ方を微調整するのだけれども、これといってしっくりくる事もなかなかないというか、そうしているうちに四球の山により大変なことになり、試合を壊してしまうというのは、ビギナー投手にはよくある事なのだと思う。

今日はというかここ数回の練習では、もうそうなってしまう(試合会場や当日の体調による変化がある)事はあきらめてというか受け入れて、変化するとしていかにその変化を試合中に短くアジャスト出来るかを考えた練習をしてみている。普通にコントロールできる投手から見ると無駄な努力かもしれないが、週末にしか動けない自分にとっては週末にできる事はこれくらいともいえるのだ。具体的にやっている事は、その時に試せる投球フォームの幅を広げてみる事だ。

で、今日感じたのは、投げ方を自分から見るとドラスティックに色々変えていても、我々レベルのチームだとそれは打つ側からするとあまり検知できず、スピードの違いや球種の違いとして見えるため、ある意味変化球的な扱いを出来るという事。投げ方を変えるという中にステップ幅を変えて体重の載せ方を変えるのも試しに入れてみたのだが、これがある意味チェンジアップや変化球的な扱いとなり、ある意味敵にもいい攻め道具として使えるのでは?という所だ。あまりにもチームメイトが投げ分けた時に打ちにくそうにしていたので気づいたのだが、ピッチングフォームというか、投げる時のステップの幅が違うと全然球種は違うのだが、そのレベルではみな、見ていないとの事。

このことから感じた事としては、自分的にはこれは大ごとだなと思ったことでも、人から見るとそう変わらないというか、認知に至らないというケースも大いにあるという事だ。しかもそれは試してみないと分からない。なぜなら受け取る側も認知の問題であり、認知のどの程度の差分があるかは認知して見ないと分からないからだ。仕事でも私生活でも自分なりに大きく変えてみた時にでも、周りの人がどう受け止めているか、聞いてみることがよさそうだ。

また今日は、妻の習い事インターンきっかけで本屋に近い所まで行け、神谷美恵子さんの「生きがいについて」を購入した。著者を知ったのは自省録の翻訳者としてだが、前半の文章を読んでもその圧倒的な知識に色々教えてもらっている。自分なりに吸収して、よりよい人生を歩んでいくための礎としたい。

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