誰も何もわかっちゃくれない

今の感情は「死にたい」オンリー。

ということは、明らかに通常ではないということ。

それを理解した上で読める人は読んでほしい。


まじで、この世界は狂っている。世界は誰を中心に回っているか知らないが、少なくとも私ではない。しかし一人称という言葉あるように、生きている自分という個体が存在し、感情というものが存在する限り、まるで世界は自分を中心に回っているかのように考えてしまうのもまた事実である。

その考えは誰もが持っているもので、それによって褒められたり叱られたりすることもまた事実である。では、前者と後者の違いは何か。

それが、他人に認められるか否かである。その人の人間性とかという問題ではない。多分あなたのまわりにいる人がたまたま理解をしてくれないだけだと思っている。

私は、誰からも本当の自分を認めてもらったことがない。だから周りの目を見て「いいこ」であるようにしている。そのおかげで、大学では首席・小中高と代表委員学級委員を務めて、みなに慕われてきたつもりである。しまいには、総合格闘技の全日本大会で優勝するレベルでさえある。

しかし、これは偽りの自分。本当の自分なんか微塵もない。誰かからの評価が怖くて本当の自分を出せていない。長くなりそうだから、ここでいったんまとめると、要は猫をかぶっているのである。しかし、化けの皮をはがせば、皆から憎まれるゴキブリだったという話だ。

本当の自分をさらけ出せる人間はもういないのかもしれない。今きっとこの記事を読んでくれているであろうあなたにも、本当の自分は見せたことがない。まだ「いいこ」な私を見せている。だから、あなたは私とここまで仲睦まじくできているのだ。異論はみとめない。

本当の自分はものすごく弱い。すごく小さなことでも、怒り、悲しみ、喜ぶ。感情に左右されて生きている人間なのだ。ただ、今まで一緒に時間を共にしてきた仲間には決してそのようには思われていないだろう。

私は人間として生きていくにはあまりにも弱すぎる。人生が向いていないのであろう。「人生は生きるためにある」とどこか有名な人が言っていたがそれは違うことが私で証明された。

私を好きでいてくれている人間や、産んでくれた(避妊せずに勝手に産み落とされたと思っているが)親にも悪いが、私はこういう人間である。

ほっといてほしい、誰かに飼いならされたくない。もう、誰かの期待に応えたくない。その期待にそぐわなかったときに、期待していたのにと冷たい目で見られるのが怖い。どこまでいい子でなければいけないんだ。どこまで、この世界は私をいじめるんだ。

感情を持たない植物にでも産まれてくればよかったとそう思っている。死にたい。簡単に死にたいと口にする人間は嫌いと豪語してきたが、それでも私は死にたい。

誰も理解してくれない。誰かに期待されてばかりいる。産まれてくる親からやりなおしたい。もっとポンコツでありたかった。もっと自由に生きていたかった。22歳にもなってまだいい子でいなければいけない理由ってなんなんだ。

不慮の事故で、そうなってしまった方には大変申し訳ないが、下半身不随にでもなって、皆から心配され億単位する花瓶のように丁寧に扱われたい。本当の私と向き合ってくれる人を見つけたい。悲しい思いをさせないような人を見つけたい。

普段の笑顔の裏には、心で号泣している自分を見つけてくれる人がいてほしい。もう死ぬまであと一歩。

誰かが、引っ張ってくれれば生きることができるし、ちょっとでもふざけて背中を押されたらすぐに死ぬ。そんな狭間で生きている私を褒めてほしい。生きているだけで感謝される人間になりたい。天皇家に生まれたかった。てか、人として生まれたくなかった。

そこら辺の雑草でもいい。神社の大木でもいい。感情を持たないきれいな生物になりたい。

生きているのがつらい。誰も理解してくれない。説明しても無駄。私は、私を中心に世界が回ってほしい。人それぞれに世界があり、それぞれがそれぞれを中心に回る世界をつくってほしい。この記事を書いている時に何回涙をしているか、何回嗚咽しているのか。誰予想付かないでしょうね。

はぁ、死にたい。

死ぬ前に一つだけしたいことといえば、何だろうな。きれいな顔で死にたいから、整形でもしてから死のうかしら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?