学校がなくなった話
学校がなくなった。もちろん、今通っているところじゃなくて高校なんだけど、今日は母校がなくなった喪失感と同窓生に会えた高揚感で胃がおかしくなっているから、取り止めもない話を聞いて欲しい。
わたしの母校は奈良県でも公立で4番目くらいに賢かったし、人気校だった。お祭り好きとして有名で文化祭の規模は公立高校にしては大きかったし、後夜祭では花火も打ち上げていた。制服も可愛くて、灰色のざらざらしたスカートに紺のブレザーとストライプのリボン。指定鞄も黒地に赤のラインで、他校生が卒業生から中古を買い取るくらい可愛かった。
こんな人気校だしマンモス校だし、これからも高校は続いていくと思っていたけど、いきなり閉校した。突然すぎて、入学したての高校1年生は自分達の卒業と一緒に閉校になることが決まったし、卒業生も心の準備が出来ないまま今日を迎えた。
わたしたちの学校の跡には、奈良県の公立で1番賢い学校が引っ越してくる。賢い学校の校舎が耐震面で問題があるから、わたしたちの校舎を使うらしい。やるせないので校舎の壁に「永遠に(Forever)」って書こうとしたけど、リフォームで消えると言われたのでやめた。
わたしたちの学校は関西文化学術都市の中にあって、西の筑波を目指している。学校の近くには奈良県下1位の学校もあるし、ここらに賢い学校が集めたいのだと思う。しらんけど。
10年ぶりに会う友達は、どこかこそばゆくて。とにかくいらんことばっかり喋ってしまうから注意したほうがいいい。話し方は高校生のときと変わらないんだけど、内容は10年間をぎゅっと凝縮したものを聞くから、興奮して帰りの電車で寝てしまった。自分がいらんこと言いまくった一つに、自分のSNSのアカウント名なんだけど、これから同窓生や後輩に見られながら投稿することになる。高校生の時のわたしはとにかく痛い厨二病だったから、別人だと思ってほしい。願ってる。
仕事でとある離島を訪れたときに、「一度学校が閉校したら、もう子供も学校も帰ってこない」と島民から言われたことを思い出した。島の人口は50人弱で、もう子供は住んでいない。小学校は平成3年に閉校した。「小学校がないから子供が住めないし、子供一人のために開校は出来ない。これからは老いていく人ばかりやわ」と話していた。この時に感じた少子化の怖さを今日なんとなく思い出した。
これから自分の母校に全く違う制服の生徒が通うという、不思議な経験をすることになる。滅多に出来る体験じゃないし、一度見に行こうかなと思ってる。おわり。
田口ナツミ
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