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ロボットになったあきおくんは、どうして今もロボットのままなのか

『ロボットになったあきおくん』という絵本がある。

元の絵本を読んでいないので、記事から簡単に要約する。「戦時下の教育で『軍国少年』=『ロボット』になった明夫少年が、戦後に民主主義者に転向して『ロボット』でなくなり、自分の頭で考えるようになった」というストーリーらしい。この認識自体に誤りがあったら、申し訳ない。僕がこれから書くことは無視してほしい。

僕の考えでは、明夫氏は『軍国主義の少年』から『戦後民主主義者』に転向したという点で素晴らしい。しかし、彼は現在に至るまで、ずっとロボットのままだと思う。

なぜか。彼は軍国主義の世の中で、"周りに流されて"軍国主義を信じた。その点で、彼は『ロボット』だった。ここまでは同意する。

しかし、それならば、戦後になって"周りに流されて"戦後民主主義を信じた彼も、『ロボット』であるはずだ。

戦後、「軍国主義の支持者」と「民主主義の支持者」の割合が逆転して、明夫くんはそれに便乗したに過ぎない。大衆に便乗するのに、自分の頭で考える必要はない。

自分の頭で考えないのが『ロボット』だ、という比喩を使っているのだとしたら、彼はずっとロボットだ。少なくとも、戦後に民主主義に転向したところで、「自分の頭で考えるようになった」「ロボットではなくなった」とは言えない。

もう一度、日本が軍国主義となり、大衆がそれに迎合したとき、明夫くんが今度こそ人間になれるかどうか。僕は見届けたいと思う。でも、明夫くん、君は一生、ロボットでいいじゃないか。人間として生きるのは大変だよ。




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