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なぜ空気を読むと失言するのか--葉梨法相、あるいは腰が浮いたおじさんの空転について

「死刑のはんこを押してニュースになる、地味な役職」とパーリーで発言をした葉梨法相のニュースを見た。いまだに桜田五輪相を事あるごとに思い出し、愛おしく感じている身としては、放って置けないニュースである。

つくづく、人間は余計なことを言って失敗するものだ。僕自身のこれまでの人生を振り返ってみても、失言のオンパレードである。毎日、「なんであんなこと言っちゃったんだろう」という後悔とともに布団に入っている。

ぼくの話はどうでもいい。葉梨さんの話をしよう。まず、葉梨さんは立派な人物に違いない。なんてったって現役の法務大臣だ。きっと政治のこともすごく詳しいんだろうし、人望もあるのだろう。

首相官邸の略歴を見てみると、1982年に東京大学の法学部を卒業している。同年に警察庁に入って、17年も勤めて警視正(偉いっぽい)になったのち退職し、政治家に転身している。当選6回、たぶんベテランと呼ばれるような衆議院議員である。本当に、めちゃくちゃ苦労しているだろうし、バイタリティ、あるに決まっている。

面白いのが、奥さんの養子に入って、義父の跡を継いで世襲(?)政治家になったとWikipediaには書いてある。なんだこれ、空気、めちゃくちゃ読めそうである。子供は娘が三人。ますます空気しか読んでなさそう。

なのに、なんでこんなにしょうもない失言をしてしまうのか。

僕の予想はこうだ。「法務大臣なんて地味ですよお」と謙遜した方が得になるような、そういう流れがあったんじゃないか。つまり、空気を読みすぎたのではないか・・・

もしかすると、「あたし国土交通大臣ですけど、車運転したことないんです、免許持ってないんで!」「いやいや、あたし農林水産大臣ですけど、仕事といえばお米の袋に金賞のシール貼るだけですよ」「ははは、ぼくデフレ脱却担当大臣だけど、『デフレ』ってデートしかできないセフレ未満の女のことだと思ってましたあ」みたいな、"ツッコミ待ちの大臣大喜利"的な流れがあったのかもしれない。そんななかで、法務大臣はデフレ脱却とかに比べて格が高いし、「葉梨、お前なんか言えんのか」みたいな流れがあった。頭をフル回転させる葉梨。みんな法務大臣の仕事って、死刑の執行くらいしか知らないだろうな。よし、これを使わない手はない。「朝死刑のハンコを押したら昼のニュースになる、地味な役割ですよ」ドカーン大爆笑、これだ! で、めちゃくちゃスベって、真顔で並んだ記者たちがソッコーでタイピング。記事、アップ。そんな悲しい葉梨・・・

そもそも、「失言」は一人では発生しない。聞いてる人、相手がいるからこそ「失言」が生まれる。

失言は、場の力学のようなものから生じていると思う。

ぼくみたいな失言のプロフェショナルに言わせてもらうと、たいてい、相手から繰り出された悪口や軽口、おちゃらけが発端となり、ついこちらまで妙なことを口に出してしまうのだ。

誰かが自分を卑下するようなことを言ったり、あるいはまた別の誰かの悪口を言っているとき、それをただ聞いているだけでは申し訳なくなってしまうのが人間の性である。「あたしだってどうしようもない人間だよ、ハゲてるし太ってるし」とか、「たしかに〇〇さんってハゲてるし太ってるよね」とか、そういう余計な失言をしてしまう。で、あとから「あいつはハゲやデブを見下してる!」と言われちゃうのである。ぜんぜん、ハゲでもデブでもない人から。こんなに、ハゲでデブなぼくが・・・

誰かの悪口や軽口、あるいは自分を卑下する発言って、心の底からそう思っている場合もあるだろうけれど、相手に余計なことを言わせたり、相手の本音を引き出すための「誘い水」であることも多い。政治って、まさにそういう駆け引きの舞台なんだと想像する。そんな政治家たちの会合で、腰の浮いたおじさんが勢いよくひっくり返ることがある。それが政治の面白いところではないでしょうか。


補足1)ちょっと真面目に推測すると、彼が本当に言いたかったのは「死刑のハンコを押すのって、地味だけど大切なんだよね」ってことだと思う。世の中っていうのは、そういう一見すると地味なことがすごく重い意味を持ったり、大切だったりするんだよね、というようなタイプの葉梨の持っていき方をする人は、たまにいる。

補足2)ぼくは死刑制度には反対なので、法務大臣が死刑のハンコを押さない日が来ればいいと思うし、今回のような葉梨さんの失言が死刑制度そのものへの疑問に向かえばいいなと思う。


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