「可愛くてごめん」の闇 ー女をナーフしたい男たち、女をナーフしたい女たちー
海外インスタのリールを見ていたら、「可愛くてごめん」という曲を耳にした。
この曲、歌詞がすごい。
まず、「可愛くてごめん」って、誰に謝ってるか気になりますよね。これはもうわかりやすく、「可愛くない女」に謝っている。
こんな調子である。
あるいは、
これは明らかに、女性から女性へ、同性に対するメッセージである。
いや、「可愛い女」から「可愛くない女」への挑発であり、攻撃だ。
問題が複雑なのは、歌っているのは可愛い女の子たちでも、この曲を聴いているのはおそらくアイドル好きの男性たちであり、彼らは世間一般で言われる「弱者男性」(この言い方は嫌いなのだけれど、仕方なく)だろう、ということである。
つまり、「弱者男性」+「可愛い女」vs「可愛くない女」=「フェミニスト」という構図が、透けて見えちゃっている。胸が苦しい。
「アンチフェミ」の実働部隊は、この曲みたいに「女をナーフしていく」タイプの芸術文化活動(!)を通じて社会に影響力を与えていくのではないか、という気がするのだ。しかも、アイドルのような存在を使って、「女が女をナーフする」の建前で。
女はまた「可愛く」なるのか
こんなに可愛い曲なのに、胸がキリキリ、涙なくして聴いていられないのは、「世の中はこうも変わらなかったか」という虚無感のせいかもしれない。むしろ「可愛い女」をめぐる感性は、後戻りしているんじゃないか、という気さえする。
十年くらい前、未来はもっと、可愛くない女が、勝っていくんだと思っていた。
つまり、過度なおしゃれや化粧、「可愛さ」をめぐる文化は、弱者としての性である女に「押し付けられた」ものであり、これからの女は男と同様、勉強を通じてスキルを身につけ、学歴やキャリアを育んでいくことで、「可愛くない」女になるんだ。それが正しいかどうかは別として、そういう空気があったような気がする。十年前に大学生だった僕の周りには、たぶんあった。
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