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【解題】ミルトン・フリードマン『金融政策の役割』(フリードマン・カルドア・ソロー「インフレーションと金融政策」収録)

読む前は、ミルトン・フリードマンとニコラス・カルドアの論争に対してロバート・ソローがコメントを寄せている内容だと勝手に思っていたが、そうではなく3人の論文を一冊の本にまとめた日本オリジナルの書籍である。本書に収録されているフリードマンとカルドアの論文は、ネットでダウンロードできるので、興味ある方は以下を参照。(ソローの論文は著作に収録)

M.Friedman, "The role of Monetary Policy", American Economic Review. March 1968.
https://www.fep.up.pt/docentes/pcosme/CIF_1Ec101_2014/Freedman1968.pdf

N.Kalrod , "The New Monetarism" , Lloyds Bank Review. July 1970.
http://public.econ.duke.edu/~kdh9/Courses/Graduate%20Macro%20History/Readings-1/Kaldor.pdf

R.Solow, Price Expectation and the Behavior of the price Level, Manchester University Press, 1969
https://www.amazon.com/Price-expectations-behavior-price-level/dp/071900375X/ref=sr_1_39?keywords=Robert+M.+Solow&qid=1583300370&sr=8-39

今回はフリードマンの論文について紹介しよう。本書に収められているフリードマンの「金融政策の役割」は、1967年12月29日に行われた第80回アメリカ経済学会(The American Economic Association:AEA)の年次会合における会長講演が原文である。「過去20年ばかりの間、2,3の反動的人々を別にすれば、すべての人々によって金融政策は新しい経済学によって陳腐化されてしまった (P.3) 」アメリカの経済学界に対して、改めて通貨(貨幣)の重要性の提起が講演の目的としている。フリードマンは、1920年代と1968年当時の間との類似性があると指摘した後で、こう述べている。

当時と同じように今日も金融政策に過分の役割を割り当てる危険のあることや、達成不可能な課題を達成するように要求する危険のあること、さらにその結果として金融政策でできることもできなくなる危険があることを恐れるからである。(P.9)

講演では、主に「金融政策がなしえないこと」と「金融政策がなしうること」が語られており、金融政策を"擁護"するために、金融政策が「できる」事と「できない」事を峻別するのが目的だったようだ。

金融政策がなしえないこと

フリードマンは、以下の二つの金融政策の限界を指摘している。

(1) 金融政策はごく限られた期間しか利子率を釘付けすることはできない
(2) 金融政策はごく限られた期間しか失業率を釘付けすることはできない

順番に見ていこう。まずは利子率の釘付けに関して。フリードマンによれば、貨幣量増加は利子率を一時的に下げるが、1年から2年で利子率は貨幣が増えなかった場合の水準に戻る傾向がある。さらに高い貨幣の増加率によりインフレ率が上昇し、人々の間でインフレ期待が生じたのならば、アービング・フィッシャーが指摘していたように、借り手は高い利子率での支払いを拒否せず、貸し手は高い利子率を欲しがるようになる。これをフリードマンは次のように表現している。

経験的に、低い利子率はー通貨量が緩慢に上昇したという意味でー金融政策が緊縮的であった証拠であり、高い利子率は、ー通貨量が急激に増加したという意味でー金融政策が緩和的であった証である。こうした経験的事実は、金融界ならびに経済学者が一般に認められた方向とは、全く逆の方向であった。(P.12)

つまり、通常に思われているような関係と因果が逆であり、金融政策が「緊縮的」であるから低い利子率、金融政策が「緩和的」であるから高い利子率であるということである。ここから「金融政策が『緊縮的』であるか、『緩和的』であるかの指標として、利子率を使うことが間違っている」として結論しており、彼は「通貨量の変化率に注目するほうがずっと優れている」(P.13)と主張している。

失業率の釘付けに関して。今では、どのマクロ経済学の教科書にも載っている「自然失業率仮説」が提唱されたのが、この講演に於いてだ。当時のフィリップス曲線概念では、インフレ率と失業率の間では恒常的なトレードオフがあるとした。しかしながら、フリードマンによれば、短期においては、労働者は貨幣錯覚により、インフレ率と失業率のトレードオフは存在するが、長期では労働者はインフレによる実質賃金の低下を学習してしまうので、インフレを予測して名目賃金上げを要求する。そのため実質賃金は低下しせず、インフレ率を上昇させても失業率は低下しない。これが「自然失業仮説」である。「自然失業仮説」によれば、長期ではフィリップス曲線は必ず垂直になる。

この結論を別の表現で述べればインフレーションと失業率との間には常に一時的なトレード・オフが存在する。しかしそれは恒常的なトレード・オフではない。その一時的なトレード・オフはその一時的なトレード・オフはインフレーションそれ自体に由来するのではなく、インフレーション率が上昇することから生じる一般的な意味での予期されざるインフレーションに由来する。(P.19)

フリードマンは、一般的な結論として通貨当局は、為替相場、物価水準、名目国民水準や物価変動率、名目国民所得の増減率、通貨量の増減率といった名目値コントロール可能とするが、実質利子率、実質国民所得、実質通貨量や実質国民所得成長率、実質通貨成長率といった実質値コントロール不可能だとする。(P.20)

金融政策がなしうること

では「金融政策がなしうること」とは何なのか? フリードマンは「アメリカにおいて大恐慌や他のすべての景気変動が人々の貨幣錯覚によって起こされ加速されたものである」と述べたあとで、次のように語っている。

金融政策の機能に関する歴史的教訓の中で最初のそしてもっとも重要なものはーそれはもっとも深遠な重要性を含んだ教訓であるがー金融政策によって、通貨そのものが経済の撹乱要因になることを避けることができるということである。(P.22)

さらに以下のように続けている。

通貨政策によって不安定を齎す他の影響力を相殺することのできる可能性は一般に考えられるよりも限定されていると思われる。我々には、発生した撹乱が小さいものであったときに、それを適切に見つけることができるかどうか、更にそれがどんな影響を齎すかをある程度の正確さをもって予測することも、またその影響力を相殺するのにどんな金融政策が必要かについて
予測することも、簡単には分からない。我々は以上の目的を金融・財政政策のポリシーミックス微調整ないし粗調整することによって達成することができるかどうかを十分には分からない。この領域においては、特に最善策が良策の敵になりがちであれば、「明確かつ差し迫った危険」を伴う時のみ他の撹乱を相殺するために、金融政策をはっきり使うことが賢明な策である(P.26)

一般的には、金融政策万能論者と思われているであろうフリードマンであるが、「通貨政策によって不安定を齎す他の影響力を相殺することのできる可能性は一般に考えられるよりも限定されている」、「『明確かつ差し迫った危険』を伴う時のみ他の撹乱を相殺するために、金融政策をはっきり使うことが賢明な策である」と述べているのは、多くの人にとっては意外であろう。彼の金融政策に対する価値観は、90年代からゼロ年代にかけてのグレートモデレーション全盛時のバーナンキに代表される、金融政策による万能ファインチューニング論者たちとは対極に位置するといって良いだろう。彼は、中央銀行による裁量的な金融政策は貨幣による撹乱を引き起こすものだと見なしており、これが後のルールによる金融政策を主張するマネタリズムへとつながる。

金融政策はいかにあるべきか

金融政策ができる事・できない事を長々と述べた後で、結論として金融政策に対する二つの必要条件を提示している。

第一の必要条件は、通貨当局が制御しうる政策変量で誘導すべきであって、制御し得ない政策変量でやるべきではないということである。通貨当局が利子率ないし失業率を政策の直接的規準とすれば、それは誤った星に向かって軌道をとる宇宙船のようなものであろう。通貨当局が制御しうる各種の代替的政策変量のうち、政策として最も魅力のある手段は、為替相場、ある指標によって定義される物価水準、さらに通貨総量ー現金+修正済み要求払預金、ないし以上の計プラス商業銀行定期預金ないし広い貨幣総量ー
である。(P.27)

第二の必要条件は、通貨当局が政策の急激な変更を避けるということである。通貨当局は自分たちの活動とその経済に及ぼす効果との間の遅れを認識損ねている。私自身の見解を更に付け加えれば、通貨当局はある特定の通貨総量の一定の一様な成長率を達成する政策を広く採用することによって、そうした行き過ぎを避けるようにしているということである。(P.29)

貨幣が持つ撹乱効果に対してのフリードマンの態度は以下の言葉によく表されていると思われる。

我々が経験したような大幅かつ不安定な動揺に苦しむよりは、それが一様で安定的ならば、過度のインフレーションないしはデフレーションを平均して生み出すような固定的成長率を持つ方がましであろう。(P.39)

最後に、以下の言葉で講演を締めくくっている。

安定した一様な貨幣の成長は経済成長の真の源である企業の基盤となる力、工夫力、発明、勤勉、さらに節約を効果的に機能させるような金融的風土を準備してくれる。以上が現在の知識段階で金融政策に求めることができるほとんどである。(P.30)

以上が講演の要旨である。この講演論文は、現時点において、被引用数が9550と、世界中で多くの経済学者に引用されている。現在では「金融政策による景気の万能ファインチューニング論者」だと俗に捉えられているフリードマン像を再考する上で最も読む価値がある論文だろう。どこかの新書の表紙の帯で書かれているような「金融緩和の下で減税せよ」というスローガンへと単純に回収されるような事を主張していないのは確かである。裁量的な金融政策からルールによる金融政策の転換を主張して、当時ケインズ主義が覇権を握っていたアメリカの経済学界に本格的に喧嘩を売った記念すべき講演論文、是非とも読んでみてはいかがだろうか?

参考文献


翁邦雄『ポストマネタリズムの金融政策』(日本経済新聞社, 2011年)
第2章の「ミルトン・フリードマンと米国マネタリズム」はアメリカにおけるマネタリズム絶頂とその後の黄昏について非常によく纏まっている。

宮川重義『フィリップ曲線の歴史 : ミルトン・フリードマンのAEA会長講演50周年を記念して』(京都学園大学経済経営学部論集第8号, 2019年)
フリードマンによって変更されたフィリップス曲線がその後どのように変遷していったかの歴史を辿った論文。

宮川重義『ミルトン・フリードマンは本当に死んだのか』(経済経営学部論集第5号, 2017年)
フリードマンの業績についての包括的な論文



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