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【読書】上久保敏『下村治 「日本経済学」の実践者』ー ”特異点"としての下村治

本書は「評伝・日本の経済思想」(日本経済評論社)の一冊として出版された下村治に関する評伝である。沢木耕太郎『危機の宰相』など下村に関する評伝は何冊かあるが、本書は下村治が作り上げた理論そのものに焦点を当てているのが特色だ。下村の著作はほとんどが絶版なので、下村の理論を知るには貴重な評伝であると言える。

大蔵官僚としての下村治

下村は1934年に東京帝国大学を卒業して、その年に大蔵省に入省。1948年に結核による休職を経て、1959年に大蔵省を辞めるまで大蔵省に在籍していた。戦前は大蔵省内で下村を中心とする勉強会ないし読書会が開かれており、そこでは、ケインズ『貨幣改革論』、ハイエク『価格と生産』、ハーバラ『国際貿易論』、ヒルファーディング『金融資本論』、ケインズ『貨幣論』等が読まれたという。戦後、下村は占領期下での都留重人とのインフレーション論争、1956年の後藤誉之助(1956年度の経済白書の執筆責任者。「もはや戦後ではない」と白書を結語したことで有名)との在庫論争などを通じてエコノミストとしての立場を固めた。

処女作「経済変動の乗数分析」

第四章「独創的理論の構築」では、下村の処女作で学位論文にもなった「経済変動の乗数分析」について詳細に紹介されている。下村はケインズの有効需要の理論だけでは経済変動を説明できないとして有効産出の理論をこの論文で提示している。下村によるケインズ理論の欠陥の指摘は以下の通りである。

1. 有効需要の理論に対応すべき有効産出の理論が展開されていない
2. 投資要因について現実的な検討があまりに軽視されており、投資誘因としての利潤が無視されている
3. 有効需要と有効産出との不均衡状態そのものが理論的検討がされていない
4. 純所得、純投資というような純計概念によって論議が行われ、総有効需要、粗投資というような総計概念による検討が不十分である。
5. 輸入の産出としての役割が正しく取り扱われていない
6. 財政収支・国際収支を含めた統一的な理論として展開されていない
7. 物価理論との結合が行われていない

下村は、「需要と産出の不均衡→物価変化」という過程と、これによって引き起こされ、反対方向の「物価変化→需要と産出の変化」という双方の過程で経済変動が起こると考えていた。

有効需要と有効産出との不均衡の結果としての超過利潤に応じて純投資の増減がおこり、これがさらに有効需要と有効産出との相互作用を変化せしめるのが、経済変動の中心的な過程であろう

下村はほぼ独学で、不均衡理論と動学理論を独自に打ち立てていたのは賞賛に値すると思われる。

高度経済成長と下村治


第六章「高度経済成長と下村治」では、「所得倍増計画」と下村治との関わりについて描写されている。

高度経済成長期前後における下村の経済認識

下村の当時の認識では、日本経済は戦後の需要超過から今や供給超過に転じており、個人消費や住宅投資などの民間部門の需要動向が弱い現状から、望ましい経済成長を実現するためには金融緩和、金利の低下とともに政府部門の支出増加が必要であると訴えていた。(『経済成長実現のために』(宏池会, 1958年) 下村によれば、経済成長を決定する基本的な要因として供給能力と有効需要がある。供給能力は経済成長の実質的な条件を形作るもので、生産設備によって基本的に決定される。一方、有効需要は生産設備によって形成された成長力を現実化させるものである。日本経済が成長していくためには、経済の生産能力に見合った有効需要の圧力が高い高圧経済になる必要があることを指摘していた。(「日本経済の基調とその成長力ー過大成長論批判と成長力の吟味ー」(『金融財政事情』1959 (昭和34年)2月16日号, 2月23日号)

「経済成長、あるいは経済成長を実現するために政策的な考え方にとって重要なことは、一方では実質的な生産能力の拡充強化を進めると同時に、他方ではこのような生産能力に適合した有効需要の圧力を加えるということでなければならない。一方において有効需要の圧力は、生産能力の活用を可能ならしめ、さらに、その有効需要の圧力は、生産能力及びその拡充の可能性と比較して、過大であってはならない。」 (同上5~6頁)

「所得倍増計画」と下村治

下村治と「所得倍増計画」の関わりについて。wikipediaの記述では「高度成長のプランナー」、twitterで見かけたこちらのツイートでは「高度成長の立役者」と評価されている下村治であるが、「所得倍増計画」と下村が策定した「下村プラン」が完全に等しいものではないことには注意が必要だ。実は下村は「所得倍増計画」の策定自体には深く関わっておらず、「倍増計画」を策定した経済審議会の委員・専門委員の239名のうちに入っていない。(P.138) 「所得倍増計画」の原案は経済企画庁・経済審議会が作成した。原案で経済企画庁・経済審議会は経済成長率を7.2%と推定しており、この数字に不満を持った池田勇人は別のプラン(「下村プラン」)を作成させた。下村プランでの経済成長率は11%であり、池田は間を取って経済成長率を9%としたようである。また「所得倍増計画」と下村プランでは産業連関表を用いないマクロ軽量モデルによる推計という点は共通していたが、モデルの構造は異なっている。下村の推計は「 ハロッド・ドーマー型の経済成長モデル、設備の生産能力とGNPの増加とのマクロの需給モデルを基礎に国際収支を考慮したモデル」であり、「所得倍増計画」は「三面等価の関係を利用して、経済の各部分の因果関係を循環的に説明する連立方程式体系のモデル」である。(P.130) 後に下村は「所得倍増計画」について以下のように回想している。

「所得倍増計画は企画庁のラインでまとめられた報告になるわけです。/ 企画庁はその前から長期計画をたびたびつくっているけれども、出発点は統制経済的な考え方の非常に強いもので、潜在的な成長力をいかに伸ばすかという、積極的な成長政策論的な発想の非常に弱いものであったと思うのです。/ そこで、所得倍増という成長政策的なものの考え方と、従来の企画庁的な計画主義とが、妥協的に組み込まれたということではないかと思うのです。」(「成長理論の誕生から開花まで」(『ミリオネア』1969年七月号)

東京オリンピック後の1965年不況(昭和40年不況)のときには、下村は金利引下げ、企業減税、公債発行といって処方箋を提示した。このときに公債発行を巡って日銀の理事だった吉野俊彦と論争になっている。ちなみにこのツイートは事実関係が間違っている。この時の下村はとうの昔に大蔵省を退職しており、当時の肩書は日本開発銀行理事である

成長減速論、そしてゼロ成長論へ

1970年頃から下村は本格的に成長減速論を唱え始める。下村は経済成長の根本的な推進力は技術革新(イノベーション)であると見ており、日本は先進国に対するキャッチアップを終了したので、民間主導型経済から政府主導型経済へ変わらなければならないと考えていたようだ。1973年10月の石油危機をきっかけとしてゼロ成長論を唱えるようになる。下村によれば、高度経済成長期は

国内の生産力拡充によって国民の生活水準向上と同時に、輸出競争力を強化し、輸入よりも輸出を早く実現させる拡大均衡の条件が内包されていた。成長の中で国際収支の均衡も同時に達成できた。日本の産業界がイノベーションを実現できる力を持っていたと同時に、輸出の激増で生産拡充をできる国際環境が与えられて、原材料やエネルギーを低価格で確保できるという輸入増をそれほど招かない条件があった」

しかし、石油危機以降は

「石油危機による石油価格の高騰が国際収支の均衡条件を決定的に変えてしまった。国内均衡、国際均衡の両面で拡大均衡の条件が破れてしまったので、財政政策で経済を刺激しても民間需要の拡大が起こらずに、GNPの大幅な増大がないために十分な税収増もなく、財政は均衡せずに赤字状態が定着してしまう」

と考えていた。("幻想に過ぎない潜在成長力論(『金融財政事情』1975年9月1日号) 下村は、経済の安定は国際均衡と国内均衡の同時達成が不可欠であると考えており、この考えは戦後から一貫していたようだ。(P.199)『ゼロ成長脱出の条件』(東洋経済新報社, 1976年)のまえがきにおいて、下村は自身が変節したという批判について以下のように反論している。

「石油危機発生以来、私が、日本経済はしばらくゼロ成長にとどまざるをえないだろう、という見解をとってきたことは、事実である。しかし、それは、日本経済についての考え方が、原理的に変わったというわけではない。高度成長論者が変節したり、変節して、ゼロ成長を論じているわけではない。/経済成長を論ずるときに、私は、国際均衡と国内均衡の同時的実現という条件を離れて、論じたことはない。為替相場の問題を論ずるときも、賃金、物価問題を論じるときにも、そうである。/私は、いつでも、日本経済が安定して均衡を維持できる姿はどういうものであるかを追及しつづけてきただけである

下村は、国内均衡にとって物価安定が根本の条件であるが、その中には投資・貯蓄の均衡(ISバランス)だけでなく財政の均衡も含まれなければならないと注意を促しており (P.207)、晩年においては財政再建が急務であると主張していた。(『日本経済の節度』1981年, 東洋経済新報社)  対外均衡と国内均衡の同時達成が経済の安定に不可欠であると考えていた事から、下村といえども、ブレトンウッズ体制下の 金ドル本位制という軛から逃れることはできなかったように思える。

本書では、下村治が作り上げた理論の記述に部分に多くの紙面が割かれており、下村理論そのものに焦点を当てた類書はない。twitter界隈では、下村治を扱ったNHKの番組「その時歴史が動いた」の「所得倍増計画 : 高度経済成長の軌跡」の動画が人気のようだが、この番組は時系列がかなり滅茶苦茶な番組なので全くお薦めしない。番組の質はコンビニの雑学本レベルである。あんなものを視てドヤ顔で下村治を語る(騙る)よりは本書を一読することを激しくお薦めする。




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