安土桃山時代の貫高制から石高制への移行を租税貨幣論から見てみようとこちらも調査中です。本多博之先生によれば、当時の京都では、銭の信用低下に伴い、米は通貨機能を高めていた。米が通貨ヒエラルキーの頂点となった民間慣行を後追いして、信長政権は米を納税手段として認めたとか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?