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変わらず若いままだよ。二度目のハタチを過ぎても。


二十代前半の頃、四十代以降の感覚なんて想像もつかなかった。そして、ものすごく乱暴なことを思っていた。

『四十代以降って、若さも体力も相当失われていて、先(可能性)がほぼ見えていて、“人生の消化試合モード”に入っているんじゃないだろうか』

でもね、実際に四十歳を過ぎてわかった。そんなこと全然ないんだ。

自分の感覚は二十代のころと大して変わってない。極端に言えば、高校生のころとそんなに大差ない気さえする。あっ、決して、自分が成長していないという意味ではない。(実際、成長していないかもしれないけれど・・・)

思い切って言うけれど、今でもあの頃と変わらず、ドラゴンボールの「ロマンティックあげるよ」を聴くとワクワクする。大人のフリしてあきらめちゃ奇跡の謎など解けないよ。(これ書くのはちょっと恥ずかしかった)


一つわかったのは、何歳になっても「人生、これから」と思って生きているってこと。心はあんまり歳をとらないのだ。髪が真っ白になって顔がヨボヨボになっても、きっと「人生まだまだこれから」と思っているだろう。今この瞬間から何にでもなれるし、どんな人生にすることだってできる、ってね。

人生100年時代なんて言われているけれど、短すぎる。あっという間だと思う。誰もがみんな、肉体だけ歳をとって、心は若いまま死んでいくんだ。

だから、若者と年寄りの間にそんなに差はないと思っている。「年相応」という言葉も、よくよく考えたら、衰えていく肉体の変化に、若い心を合わせようとしているだけだ。

今でもはっきり覚えている。

私が大学生だった頃、五十過ぎの父親と、プレステの「みんなのゴルフ」というゲームで対戦をした。勝負は白熱。父親もムキになっていた。ふと、隣りを見たら、二十歳くらいの父親がいた、ように思えた。ゲームの対戦をしていたのは、父と息子ではなく、二人の若者だった。

いい歳のとり方って、心の若さがそう見せるのかもしれない。


だから、「近頃の若いもんは・・」「若者の◎◎離れ」「ったく、ゆとりは・・」といった言葉が嫌い。大嫌いだ。

それらの言葉を耳にするたび居心地が悪くて仕方ない。そういう言葉は、世代間に壁をつくっているだけだ。

一つの世代を一括りにして乱暴にレッテルをはり、マウントをとる。複雑でとらえようのない集合体を一言で言い表そうとする。(そういう言葉があると、企業のマーケティング戦略(売るための戦略)などで便利だからかもしれない)

一人ひとり、趣味嗜好も、考え方も、育ってきた環境も、見てきた景色も違うよね。実際、若い人たちの価値観は多様化しているし、昔に比べたらさまざまな場面で人生の選択肢が増えている。

「ったく、ゆとりは・・・」と揶揄する大人たちも、自分たちが若者だった頃に上の世代から「ったく、最近の若いもんは・・・」と言われていたはずだ。「最近の若いもんはマン」は、きっと縄文時代くらいにも存在したに違いない。

人間は何歳であろうと大差ない。みんな若いはずなのだ。

だから、二十歳になったからといって、社会人になったからといって、自分の心を矯正しなくていい。社会のルールやマナーを守りつつ、ずっと少年少女のままでいてください。


※この記事は、以前書いた記事をもとに再構成して内容を膨らませたたものです。


#エッセイ  #聞いてよ20歳

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