突然のお別れ

8週と5日の日、突然のお別れでした。

苦しい内容ですが、これも私にとって大切な記憶なので書き残します。

12時頃ジワジワと腹痛が始まる。
18時頃には約10分おきの間隔で子宮がギューっと収縮する感じがありました。
まるで陣痛の様だなと思い、この瞬間別れの予感がしました。

21時頃ついに出血。
もう止められないな、とやけに冷静な自分。
22時頃には大量の出血と激しい子宮収縮。
夫がクリニックの緊急電話をかけてくれたけど繋がらず、ガイダンスに従い痛み止めを飲んでお風呂も入らずにベッドへ。

浅い眠りの中で言葉にできない絶望を感じながらもウトウト。。

翌日の日曜日。
クリニックは休診日。
近くの婦人科に行く事も考えたけれど、腹痛も出血もかなり治まっていたので様子見する事に。
流産の検索ばかりしてても辛いので、土曜日に見れなかったドラマや漫画を読んだりしてやり過ごした。
数えきれないほどのため息をつき、その度に夫がハグしてくれました。

やっと来た月曜日。
クリニックに電話し、すぐ来てくださいという事で夫と向かいました。
夫と区役所に母子手帳&マイナンバーカードを取りに行く予定だったので有休にしていました。

自分の中では8割方ダメだと思っていたけど、残り2割は切迫流産か絨毛膜下血腫かなと思っていました。だとしてもきっとこの先厳しいだろうなと。

クリニックにて内診。
4日前まで心臓をピクピクさせていたかわい子ちゃんは居なくなってました。

診察中は夫に書記をしてもらいました。先生との会話を書いてくれて、私が聞きにくい事を途中でズバッと言ってくれたり頼もしかった。

話したこと
・原因は染色体異常。やっぱり胎嚢がずっと小さかったから、何かしらの疾患があったのだろう。腎機能かな?と先生はつぶやいていました。
・胎嚢確認後の流産はこれで2回目だから、不育症の定義には入るけど、今まで受けていた検査が不育症の内容が含まれていた為、検査はやり尽くしている。
・夫婦染色体検査はまだだけど、結果が出た所で治療法はない。例え相互転座があったとしても妊娠できる人はできるものなのだそうだ。
・あとやれる事はPGT-Aのみ。今のクリニックではまだ対応していないとの事。
・今のクリニックの場合、次の生理が来たらまた採卵から始められる。

不幸中の幸いだったこと
・繋留流産では無かった。
やっぱり流産手術はつらい。このクリニックは吸引法だからまだ良いものの、やっぱり麻酔の処置をしたりスケジュールを組んだり、心の負担も大きかったと思う。お腹は痛かったけど、すんなりと逝ってくれて有り難かった。無理に妊娠継続してたとしたら重い障害のある子だったのかも。
・親や上司に話していなかった。
また妊娠できたらせめて9週か12週の壁を越えるまでは話さない方が良いという事を学んだ。
・着床できるという事がわかったから、子宮の問題は無いのかもしれない。

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流産は想像の何倍も辛いです。
特に今回は心拍確認後だったので、1回目の時よりずっと辛いです。
夫がいなかったら歩けなかったと思います。
苦しくて夜あまり眠れません。。

次は転院しようとぼんやりと考えていますが、新しい所は流産後はしばらく妊活出来なさそうです。
やっぱり年齢による胚の染色体異常には抗えないですね。
胚のグレードもやっぱりあまり意味がないのだなと感じてしまいました。
ゆっくりと今後の対策は考えたいと思います。

妊娠判定から約1ヶ月だったけど、とても幸せな夢を見させてくれました。
またいつか会えるように、休み休み自分のペースで笑顔を取り戻して行きたいと思います☺️

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