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エキセントリックカレッジふくい 第2回講義 講師:かずえちゃん

2023年8月19日に開催された「エキセントリック・カレッジふくい 第2回講義」についての個人的メモです。講義を見ている前提の文章になってます。


「ゲイの僕がYouTubeを通して伝えたいLGBTQのこと 〜一人一人が“今”できること〜」

奇抜を解放し異端をみんなで面白がる/ 地域チャレンジを応援するふくいの実験的仮想大学「エキセントリックカレッジ ふくい」に参加しています。

第2回目の講師は、ゲイのYouTuberとしてセクシュアルマイノリティに関する情報を発信されているかずえちゃん。

※講義の様子はYoutubeで公開されています。


講義前の心境

正直、今回の講義は「LGBTQとはこういう人たちなので、こういう風に接しましょう〜」的な会なのかと思って、ちょっと身構えていた。

セクシャルマイノリティや性自認に関する講演というものは「あなた達はLGBTQに対してこういう偏見を持っていて、それはおかしいことなので、本来はこういう風に考えるべきなのです!」みたいな話を聞くものだという認識があったから。正直ちょっと不安があった。

そういう不安を感じていたのは、普段からセクシャルマイノリティの方々へ若干の引け目を感じていたらからだと思う。
セクシャルマイノリティの方々が生き辛いのは、私たちマジョリティ側の人間のせいで、例えば、無意識で失礼な言動をしていたり、理解不足であることが原因である。という意識をずっと持っていた。
知り合いのLGBTQに対して嫌悪感を感じたことは特になかったけど、かといって完全にフラットな視点を持っているという自信もなかった。なので、相手に対して無意識的に失礼なことや傷つける言動をしてしまっているのではないか?という恐れがあったんだと思う。
私は色々な人が幸せに、ありのままに生きれる社会になればいいなとは思っているけど、「でも、もしかしてそういう社会にならないのは、私のせいなのではないか?」という風にさえ感じている節があった。

講演前にかずえちゃんのyoutubeを見て、なんかそういう人ではなさそうだな?という印象を受けたものの、不安な気持ちをなんとなく抱えたまま講演に望んだ。

講義を聞いて①

講義を聞いた結果、上で書いたようなモヤモヤはなくなった。
無理に分かろうとしなくてもいい、ただ肯定するだけでもいいんだ。あれやこれやと複雑に難しく考える必要はないんだ。というのが私の中で出た答えだった。
上で書いた「無意識の失礼な言動や理解不足で相手を傷つけてしまう…」というのは、別に相手がLGBTQであろうがなかろうが関係なく、全ての、どんな人にでも起こりうることだと思う。なのに私はそんな当たり前のことに気づけず、ある意味LGBTQだけを「特別扱い」をしてしまっていた。
「私は無理やりに相手を理解しようとしていたのだな」ということを自覚できたのが、今回の講義の1番の収穫かもしれない。

思えば、「理解してあげよう」「生きやすくしてあげよう」という上から目線な考えがあったのかもしれない。
私はLGBTQの人たちへの対応に「正解」があるものだと思っていた。こういった言葉をかければ良い、こう考えていれば正しい。私はそういう答えを求めていて、今回の講義でその正解を教えてもらいたいと思っていたのかもしれない。
相手がどんな性自認・性的嗜好であれど、それ以前に1人の人であるんだと、そういう当たり前のことに気がつけていなかった。
例えば同じ女だとしても、1人1人によって価値観は違うし、抱えている悩みも思いも違う。
なのに、LGBTQの場合では「この人はレズビアンだからこうなんだろう」「この人はトランスジェンダーだからこうなんだろう」と1パターンに収めようとしている節があった。
「あなたは女だからこうなんでしょ」と雑にカテゴライズされることに死ぬほど嫌悪感を持っていたはずなのに、自分も同じことをしていた、ということがショックだった。

別になにかのせいにしたい訳ではないけど、「異性愛者、シスジェンダー以外の人は、LGBTQの5種類のどれかに分類できる」という認識があった。A型はこういう性格、みたいな感じが近いかもしれない。
LGBTQみたいに、言葉にして、カテゴライズするのはすごく楽で分かりやすいことではあるが、私の場合はそのせいで逆に認識が狭まってしまっていたなということに気がつけた。
セクシャルに関わらず、人はキッパリとなにかで分類できるものはなく、グラデーションなんだと思う。
私はずっと人をそういう風に認識できている!と思っていたのに、本当は全然できてなかったんだ…とちょっと落ち込んだ。

講義を聞いて②

かずえちゃんは昨年度も講師をしてくださったそうで、運営の方から「前回の講演は涙を流す人もいた」と聞いていた。
今年はそんな感じではなく、むしろドラマティックさとは真逆で、すごく淡々と話されているなという印象を受けた。

私はその淡々さがとても心地よかった。
あまりにドラマティックに、あまりに悲劇的な感じで話されてしまうと、話し手と自分の熱量の差を感じて逆に冷めてしまったりする。
淡々とされていたからこそ、「あ、LGBTQって思ってるより本当に身近にいるんだな〜」とストンと腑に落ちた。
「私たちはこんな差別を受けていて、だからこんなにもこんなにも辛いんです……!」という風に話されると、大変だな…と感じることはできても、なんだか自分には関係ない、テレビを見ている感覚になってしまっていただろうなと思う。別にこういう風に話すことが悪いと言いたいわけではなくて、私には合ってないだろうなという話です。

淡々と、とは言ったけど決して説明的という意味ではない。淡々と、だけど聞いている1人1人の心に寄り添うように、とてもとても丁寧にお話されているなと感じた。

かずえちゃんの動画にも同じ印象を持った。
思想の押し付けや世間の偏見への糾弾ではなく、「ただ近くに存在している」ということを感じさせてくれる。だからこそスッと胸に入ってくるんだと思う。良い意味で平熱な感じがとても好きだった。

講義を聞いて③

ここまでLGBTQのことを書いてきたけど、今回の講義の主題は「LGBTQの生きづらさ」とかではなく、「選択によって自分らしく生きる」ということだったと思う。LGBTQはあくまでも生きづらさを感じている要素の1つであり、そういった誰もが抱えている「生きづらさ」を、人生の選択を通してどう向き合っていくか、というのがメインテーマだなと私は解釈した。
でも正直そっちよりセクシャルマイノリティへの話題の方が興味深かった。

私の生きづらさって一体なんだろう?
私もたまに、マイノリティ側として嫌な思いをすることがある。(性的指向や性自認ではない)でも私の場合そこまで深刻に考えていないのは、ありのままの私を肯定してくれている人が周りにたくさんいるからだな〜。もちろん嫌なことを言ってくる人はいるけど、それよりもありのままの私を受け入れてくれる人を大切にしたいし、私もありのままの誰かを愛せる人間になりたい。

余談。私には物事の正解を探そうとしてしまう節があるんだな、という傾向に気がついた。物事はすべて白か黒で分類できるわけではなく、曖昧で不確かなことばかりだと、頭では分かっているけど…曖昧な状態で置いておくのが怖い。
正解を当てはめてしまうと楽だし怖くないから一つの答えを無理やりこじつけようとしてしまう。でもそれは正しいことではない…ほらまた正解を探してる…

エキカレというコミュニティ、なんだかよくわからないけど、今のところ良い感じ。脳が汗をかいている感覚がきついけど気持ち良い。数ヶ月後の自分がどう感じているのか楽しみです。



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