見出し画像

自分の家と、自分の部屋

いつから掃除が出来なくなったんだろう?
その昔若い頃、自分はキレイ好きだと思っていた
でもそうか、キレイ好きだからと言って、掃除好きとは限らないのか

妹の部屋はいつも、仕事が詰め詰めの余裕のない職場のようにごった返し、机の上どころか足の踏み場がなかった。それはまるで枯葉を積み上げ、それを中心から「わ~」って言ってばらまくように、部屋中のものをぶちまけた感じ。もしくは泥棒が漁った後のようだった
その部屋を眺めながら自分の部屋に入るわたしは、優越感に満たされていた

わたしの部屋は整頓されていて、足を踏み入れても鋭利なもので足の裏を刺激するような危険性もない。その家の中で、そこだけが聖地と言っていいほど、わたしには居心地のいい部屋だったのだ
ただ、よく金縛りには会う部屋だったけど、それも慣れれば気持ちのいいマッサージだ

幼少のころのバイブルと言っていい『みんなのうた』で、こんな曲が流れていた

今日も今日とて天気がいい
あたしはとってもゴキゲンよ
朝から晩までなにをしよう
世界でいちばん好きなこと

「今日も今日とて」って言葉を、この歌で覚えた気がする。なんかいいよね
でも、朝から晩まで、掃除?

そんな気持ちよく掃除できるひと、いるの?
いるんだろうね。真のキレイ好きはソファに服が掛けてあることすら許せなそうだし、昔よく見た電話の上に掛けてある布さえごみと思うかもしれない

わたしの世界でいちばん好きなことってなんだろう?
やっぱり書くことかな?
「朝から晩まで好きなことをしていい」と言われたら、やっぱりなにかしら書いて過ごしていると思うから・・・・

まず落書きに始まって、次に名前書いて、他の漢字も書いて、思い出したフレーズなんかも書くかもしれない。そのうちになにか思いついて、パソコン引っ張り出すだろうな ( *´艸`){しあわせだぁ


さて、掃除だ
今現在のわたしは、傍から見れば決してキレイ好きだとは思えないだろう
はっきり言ってそんなに掃除をしていない。なんだったら落ち葉の山の如く、積み重なっている服の塔も目の届く範囲にあったりする
まぁ、汚部屋ということだ

自分の部屋は掃除していたけれど、それが自分の家となると、これはもうキレイ好きの家ではない。気を遣って掃除して回っていたのは最初の2年くらいだろうか。時間が経つにつれどんどんとやらなくなった。物が増えると同時、客足が減ったこともある

子どもたちが小さい頃は、子どもの友だちもそうだけれどわたしの友人もまた頻度よく訪れた。だが子どもの成長と共に自分の時間が減ると、周りもまた然りで、なかなか家を行き来する…ということはなくなった
わたしは基本出不精だ。だから自分から出ていくことはない。相手が忙しくなったからと言って、相手の家に出向くというのもそうそうあることではなく、結果付き合いも希薄になる

だれも来ない家は、自分が過ごし易ければいい
過ごし易いというのは、なにもピカピカでなくてはいけないわけではない

そうして掃除は滞っていくのだ

一部屋だけなら掃除できるのかなぁ
でも、確かに、寝室は散らかってないかも!?

掃除って、結構大掛かりなスイッチが必要だよなぁ


種とも子さんて、わたしにはピンポイントではない。けれど、掘り下げたらきっと嫌いじゃないとは思う。わたしの頭の中の音楽室にはこういったふわふわしたひとたちが何人かいる。あまりテレビ露出のない方々・・・・
そういうひとたちって、みんなどうやって探し当てているだろう?
大貫妙子さんも、谷山浩子さんも、わたしは『みんなのうた』で知った。もしかしたらテレビに出ていたのかもしれないけれど、それを知るにはわたしは、まだまだ子どもだったのかもしれない

また『みんなのうた』特集やらないかなぁ




まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します