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お父さん。わたし。お父さんの臨時検査を前にして。

お父さんが食事を取るようになり、バイタルも全く正常で、安定した暮らしをしている。

私も夜眠られるようになった。

今、仕事を休んでいるけれど、お父さんと2人、べったりで、ゆっくりとのんびりと、2人で過ごしている日々が、非常に幸せだ。

何にも追いまくられず、余計な事は考えず、お父さんとだけ笑い合って、お父さんの顔を見ながら、あれこれおしゃべりしたり、一緒にたくさん眠ったり、もうこんなのほんと幸せで、人生で今一番幸せなんじゃないかと言うぐらいだ。

走って走って、お金に追いまくられて生きてきた人生だったけど、お父さんと出会ったことで、それから解放されて、ゆっくりと肩の力を抜いて、生きられていて、なおかつ、私は初めて、男の人に守ってもらって、生きる人生を知ったのだった。

お父さんと出会うまでは、壱発やった流れで、なんとなく一緒になるみたいな男女関係しか知らなかった。

男の人は、みんな私より稼ぎがなくて、男って、金がかかる生き物だなぁとしか思っていなかったのだった。

だけど、お父さんと一緒になってからは、違った。

お父さんは、自分がチャルメラしか食べてないと言うのに、すっからかんになるまで私にお金を送り続けてくれ、すっからかんになっても、お父さんの知恵で、確定申告をしてくれたり、スーパーで2時間も粘って安くおいしい食材を買ってきて、得意の料理を振る舞ってくれて、どんなにお金がない時でも、料理屋さんのご飯みたいなおかずばっかり作ってくれた。

私の漫画の筆が遅くても、お父さんが工夫してくれるから、おいしいものばっかり食べられた。

私は告白してから付き合うと言う事は、お父さんが初めてだった。

1年半片思いした。
告白したときに泣いてしまった。

初めて好きですと言った。

恋をしたのだ。
多分初恋だ。

お父さんに告白した翌々日から一緒に住んだけど、毎日毎日お父さんが会社に行ってる間、ペラ40枚にも及ぶラブレターをお父さんにメールしまくっていた。

お父さんと離れて北海道へ行ってからは、ラブレターは、ペラ40枚× 7に及んだ。

日曜日、7時間も毎週毎週電話していた。

私はいつもお父さんを追いかけていて、私の恋心はいつも恋した時のままで、なんでこんなに色褪せないのかわからないけど、お父さんが病に倒れて1年間入院して、退院してきて、そして現在と、お父さんへの恋心はどんどんどんどん満ち足りてきて高まってきて、2人で部屋にいて、お父さんがテレビを見ていて、私は顔を見ているだけでも、お父さんの表情の変化に、いちいち感動するくらい、新鮮で大好きで、幸せで、心の内を全部お父さんに話して、お父さんも話してくれる。

お父さんが、ただ存在してくれるだけで、同じ部屋にいるだけで、名前を呼んでくれるだけで、嬉しくて嬉しくて、お父さんのところに行って、お父さんの匂いをかいだり、くっついたり、名前を呼んでとせがんだり、お父さんの歌を作って幼稚な歌を歌ったり。

先日、妹とビデオ通話したとき、ねーやんは、無償の愛の境地にだったんだねと言われた。

顔も雰囲気も、声も、オーラも、全部愛情に満ちているよと言われた。

そうだよ、お父さんを愛しているものと言った。

妹は、ねーやんと話すととても愛情を感じて癒されるんだと言った。

うれしかった。

お父さんとの1日1日がとっても幸せで、今だけは仕事も休みたいし、もうちょっとこの幸せに浸っていたい。

今月末、お父さんの検査がある。

結果がどう出るかわからないけれど、2人の時間はもっと増えるかもしれないし、回復したら、私はまた仕事を始めることになるかと思う。

改めて、今日、お父さんと、お互いの死後の話を決めた。

私が献体を希望しているので、納骨堂を借りるのはやめた。

お父さんがなくなったら、1番安い葬儀屋さんを見つけたので、お父さんの遺体と我が家で一晩過ごして函館市の火葬場で火葬して、津軽海峡に散骨するチャーター便の合同散骨が安いので、お父さんの骨は散骨することに決めた。

私のほうはもう息子の了解を得ているが、北大の白菊会から献体の申し込み用紙は取り寄せてあるので、書類を書いて、息子が署名の捺印し、北大に出すだけだ。

私は、医療に生かされて、医療のお世話になり死ぬので、献体を希望していると言ったら、息子が承諾してくれたのだった。

お父さんも、俺も献体がいいと言ったけど、私がそれじゃ寂しいので、わがままを言って、一晩は、死んだお父さんと一緒にいて散骨にしたいとそういうことに決めたのだった。

お父さんとの穏やかな優しい暮らし。

私は、もう、戦うような生き方はしたくない。

お父さんと出会うまでずっと、お金に追われ、仕事に追われ、責務に追われ、病気に追われ、猛スピードで突っ走ってばかりきた。

お父さんに話した。
人には言えないことも全部話した。

お父さんは、戦わなくていい、もうそういう人生はやめていい、疲れたんだろう?穏やかに生きて欲しいそう言った。

自分の能力の衰えや、それに負荷をかけて無理をすること、その膨大な疲れ。

これから先のことなんてわからないけれど、しばし、今、お父さんとのゆっくりとのんびりと愛に満ちた暮らしにだけ浸らせてもらっている事は、罪ではないと、誰からも責められたくない。

もちろん、責める人なんか誰もいないけれど、自分の心が自分の心を責めるのもやめた。

仕事と言う激しいことをしない暮らし、病気にまた立ち向かうように努力をしなければいけない、そんなストイックな暮らし。

いわゆる、過度なストレスにさらされる暮らし。

今はそれから解放されていて、しばらくはそうしていたいんだと、今だけはすべてのストレスを何も考えたくない。

お父さんとの、この心地良い空気。

甘ったるい空気。

幸せだと、しみじみと噛み締めるような日々。

まだまだ、この日々に浸っていたいのだ。

今は、この、ささやかでも、優しい暮らしにどっぷりと浸っていたい。

幸せである。

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25歳 上の夫(令和5年、77歳。重篤な基礎疾患があります)と私との最後の「青春」の日々を綴ります。

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