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脳に楔を打ち付けて。

不眠の波が来て、 明け方4時10分、 これを書いている。

『 ゴッホの手紙』 小林秀雄 著を、 高校1年生から 3年間、 繰り返し読み 鉛筆で 線を引いた部分を 読み返している。

ゴッホが 弟 テオに 記した 手紙の一文、 いつもどうしても、 ここで手が止まり ここを越えられず ここで思い悩む。

「 僕は やはりよく心得ているのだ、 もし勇気があれば、 苦痛や、 死に身をまかせ きり、 自己本位の 意欲や 愛を 屈服させるところから、 快癒は来る、と。
しかし、 僕には 何の役にも立たぬ、 僕は 絵を描くのが好きなのだ、いろいろな 人や物や、 人生のすべてのものを 眺めるのが好きなのだ、拵え ものの 人生だと 呼びたければ 呼んでもよい。
まさしく、 本当の人生とは、 これは 違ったものだろう、 だが、 生きる用意がいつもあり、 また、 いつでも 苦しむ 用意の できている人間の種類に、 僕が 属しているとは思わない」

まさに 高校1年生からずっと、 自分が なにがしかの 精神の病を持っていると 知っていた 私は、 ゴッホのこの 自身の病気と 対峙したあげくの 結論には、 私自身の 激しい 共感と 挑戦と 憧れがあったのだ。

私は高校2年生のとき 一人で病院に行き、 その時は 心臓神経症と診断された。
おばさんになれば 図太くなって 治るからと言われ、 この診断は当たっていないな と思いながらも、 得体の知れぬ 精神の病に おののいて 病院に行った 自分を恥じた。

しかしながらこの葛藤は、 自分が作品に向かうことと、 生きながらえること、 肉体を切り刻む 習慣、 1日1日が困難であること、 それをすべからく 覆す ゴッホの言葉に、 闇雲に 執筆を 日々 続けることでしか 解決のしようが 見当たらなかったのである。

「 生きる用意が いつもあり、 また、 いつでも苦しむ 用意のできている人間 の種類」

この 用意周到な俗物に、 私自身が 属しており、 そこからはみ出すことが、 どれだけの作品を作っても、 どうしても足りなかったからである。

この 本の中の 二重線を引いた部分。

これこそが まさに ゴッホの、 精神の病や死という安楽に 従属することを 良しとしない、剥き身の眼球と肉体が 行う 創作ではないだろうか。

この本は 高校を卒業しても常に持ち歩き、 度重なる 引っ越し先で 繰り返し 読むことになった。

いつもここで立ち止まる。

狂気と一言で片付けられるのなら、 そんな容易い言葉はない。

私はこれを体現したいのだ。
生きているうちに 体現したいのだ。

生きているうちに、 このように 作品が作りたいのだ。

漫画本を1冊描くたびに、 自分を あらゆる 貧困に追い込み、 ただ 紙に向かい、 その時々を 精神の破壊とともに 費やしてきた。

漫画本を描き上げる。
虚脱と 臨界に あらゆる方法で 自殺を図る。
もしくは 完全に 精神が破壊され、 精神病院に入院する。

それを繰り返す中、 私は歳を取り、 1話 描いたその日1日の 精神の崩落で あっさりと筆を置き、 容易く「怖い、が、来た」 と ぬるい言葉を吐く ようになった。

一冊 一冊 描くごとに、 凡庸な 俗っぽい 安楽を覚え、 かつて 本に二重線を引き 体中 血まみれにして 挑んだ 高校時代の自分からは、 作品に対する 一作 という その都度に 命からがら だった 情熱を 私は退化させた。

今作品を描いていて、 手が止まって以来 の空白 から、 また「ゴッホの手紙」を取り出し、 この二重線の部分、 そこに挑もうと 精神に 楔を打とうとしている。

脳の内部の肉に、 深く 深く 楔を打ち付け、 吹き出す血液の朱と 温度に 濡れて、 病という安楽も 死という安楽も、 そして「 生きる 用意」や「 苦しむ 用意」 などという、 逃げる 心地を捨ててしまえ。

執筆を再開し、 自分のデッサンが、 より 生々しく 変化したことを知った。

整頓された画面ではなく、 服の皺も 表情も肉体も、 より 人間のようである。

もっとだ。
まだだ。

物語の骨髄を 選ぶ 単語は、 どのような 壮絶な フラッシュバック であっても、 耐えて 瞬間の 想い であれ。

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