初めてのブルーインパルス
初めてブルーインパルスを見た。
そしてちょっと感動した。ウルッとした。
パラリンピックの開幕日。お昼ごはんを食べて、着替えを済ませる。ミーティングが入っていて一緒には行けないという夫に「1人で見上げてんのマヌケじゃない?」なんて言いながら、私は家を出た。
オリンピック開幕時は飛ぶなんて知らなかったし、家の近所からでも見えるなんて聞いてなかったから、見逃したことが悔しくて次こそは絶対に見てやると決めていた。
肉眼で見なければという(謎の)使命感からサングラスはかけてこなかった。時間になったのを確認して顔を上げる。まだかなまだかなと緊張が高まってきたところで、前方から歓声が聞こえてきた。なんか嫌な予感がする……。
振り返ると、空には赤と青の線が引かれている(ほとんど消えかけ)。そのさらに奥に「あれってそうですよね?」と聞きたくなるくらいの小さな点が2つだけ見えた。
オワタ……。
見える場所にいながら見逃すという大失態。私はいったいどこを見ていたんだ。悔しさいっぱいで帰ろうとしたとき、周りの人たちが上空を眺めたままであることに気づく。もしかして、まだチャンスはある……? 携帯で航路を検索している余裕はない。見たいなら、この人たちを信じるしかない。
何分経ったのだろう。もう首が限界だ……と思ったそのとき、6機のブルーインパルスがやってきた。鮮やかな色の線を描きながら、陣形を崩さずにこちらに向かって飛んでくる。うわ、めっちゃキレイやん! 興奮したまま母親にLINEを送った。「初めてブルーインパルス生で見た!!」
そしてすぐに後悔の念に駆られた。この日、私は絶対に写真を撮らないと決めていたのだ。大勢の人が一斉にスマホを掲げる光景がどうも苦手で、その一部になってたまるものかという天邪鬼的精神で臨んでいた。
なのに、もう母親に写真をシェアしたくなっている自分がいる。ああ、私も染まったな(何に?)と思いながら、帰り道を歩いた。数分前の光景を脳内再生しては、ちょっと感動する。やっぱり写真撮っておけばよかったかなと考える。そんなことを繰り返しながら帰宅すると、夫が「どうだった?」と聞いてきた。
「最高のポジションに陣取ってたのに全然見えんくって! そしたらほかの人たちが私の後ろを見とってさ。それで、かくかくしかじか……」
私は身振り手振りを交えながら早口で喋り続けた。さっきまでの後悔はどこかに消え、楽しかったという感情や感動を共有できたことにすっかり満足していた。果たして夫の脳内にも同じ絵が浮かんだどうかは分からないが、たまにはこうやって言葉だけで伝えるのも悪くない。多分だけど、スマホを掲げる大勢の中の1人になるのが嫌なのではなく、撮影することで目的を達成したかのような気になっている自分に嫌悪感みたいなものを感じていたのだと思う。
1週間後の私は、ああ写真撮っておけばよかったと後悔しているかもしれない。でも、もしあのときシャッターを切っていたら、「書きたい」という感覚を味わうこともなかっただろう。あまりに久しぶりすぎて、ここまで書くのにもかなり苦戦したけれど、改めて思う。書きたいことが日常にあるのは、それなりにハッピーだ。
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