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山の有無

関東平野に慣れきったわたしが久しぶりに京都へ遠出した。京都駅から電車で30分以上かけて降りた先は、真ん前に山が見える街だった。山は遠すぎもせず近すぎることもない。山が近くにいる、そういう存在を常に感じられるような距離感だった。
山は見えたほうがいい。そう思った。生活の中でふと見上げるといつもそこに山がある暮らし。田舎暮らしに特別憧れがあるというわけではない。ただ、関東平野のような平地にいすぎるとどこで生きているのかわからなくなる。ふわふわとした実感の中で、苛立ち、癒され、いくつものタスクを自分で作り、またこなしていく。こなしてもこなしても、まだ何かを忘れている気がする。そんな毎日とは関係なくこの世には畏敬に値する自然が在るということ、自分の存在がいかにちっぽけであるかということ、その事実に気づける瞬間があまりにも少なくないか。最近の自分の気が滅入るようなあれこれを、自然と触れ合う機会の観点から原因を見つけ出そうとした。

帰宅後。数日経ち、電車の窓からどこまでも広がる平たい住宅地を眺める。悪くない。じゃあ平地の良さってなんだろう。バランス(なんの?)をとるかのように、或いは自分の拠点を肯定することをあきらめたくないと言わんばかりに平地の良さを脳内で探してみる。見渡す限りの広い空、地平線が見える。だからこそ、思い立ったとき関東を自由に行き来できるし、下手したら世界のどこへでも飛んでいけるマインドを手に入れた、のではというところで北千住駅の到着を告げるアナウンスとともにドアが開いた。

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