見出し画像

それ以上、知る必要はあるのか?

戦争やウイルス感染、異常気象の話、ここ数年そういう恐ろしい話題ばかり。全部人間が関係していることだし、軽視できない話。現実を直視して真剣に向き合う必要があるのです。

真剣に向き合い、行動を起こし、間違ったことは修正し向き合う、大事なことです。

しかしそこで邪魔するのが、意外にも『必要以上に知ること』だと私は思うのです。真面目で優しい人ほど、物事が起こると情報を集めて調べて知ろうとする。私の業界に多いのですが、みんなを助けよう救おう、良くしようという気持ち、一種の職業病かもしれませんね。ただ、これ結構邪魔です。

真面目なセラピストほどあらぬ方向に向かう。見えない物を妄信しだすんです。アロマの勉強一つ取ってもそう。本屋さんにいくとスピリチュアルと五分五分で沢山の参考書が置いてあります。脳の不思議、人体の不思議、そういうものに行き着くとどうしても精神世界というコスモに辿り着くのです。東洋医学はそもそも天人合一理論と言って、人体のホメオスタシスを宇宙に例えて考えますから間違ってはいないんです。

ちょっとスピリチュアルや精神世界を覗いてはみましたが、私には無理でした。

そういう考えがあっても良いのですが、ないものはない。ないものをいつまでも『ある』と思って生きることが、私にはできませんでした。

ちょっと話が逸れてしまいましたが、私が思うに考えすぎることは紙一重で病気になります。そこは必ず押さえておかなければなりません。新型コロナが始まった時に、トイレットペーパーの買い占めが行われたのを覚えているでしょうか?あれは一体どこぞの情報が流れてトイレットペーパーだったのか?主に昼間時間のある高齢者による買い占めでしたね。

情報が間違っていようと合っていようと、必要か不必要かは考えればわかると思うのですがそこのタガが外れるのは『不安』と『焦り』『恐怖心』だと思うのです。これは情報の量、正誤関係なく単純にその人個人の問題です。私の知り合いにもカリスマ的なセラピストさんがいるのですが、何かが起こると情報かき集め、精査します。海外の論文なども読む、非常に賢い方なのですが、そんなに知ってる割に結局最終的に考えているのは『自分の安心』なんですよね。
自分の老後、お子さんの健やかな成長、何も知らなくても常々みんな考えていることなのに、そこに不安な情報が大量に加わることで無駄に焦っているんです。

他にも、情報収集することで『人ごとではない』と奮い立つ、私より遥かに安定した老後が保証されている知り合いがいて、なんだかなぁ…と思います。人ごとではない、と言って結局こちらも漠然と自分の身の上が不安になってるだけで、実際は今誰よりも遥かに安全圏にいるよね?と思いました。自分のことのように考えるのは大切ですが、知ったところで結局自分のことしか考えられないようなら知る必要すらない、と私は考えます。

トイレットペーパー買い占めと同じで、ただ情報を集めて知るだけでは不安を煽られてあらぬ方向に行くだけなんですよね。人の持つ『不安』というのは重要なマーケットですから。

不安や悩みを解消することが商売で成功する鍵になります。その悩みを自分で作っていてもね。逆に安心感、多幸感を与えるものも強力な武器になる。でもそのために、そこにも『不安』が必ず用意されています。

今の情報って冷静さを欠いているものが多く、何よりも素晴らしいものか途轍もなく極悪なものかの両極端です。そうじゃないと競争に勝てないから。目立たせたいものを強調する。情報で人の心を操ることが目的であって、本当に伝えたいことや真実、正義とは別だと思うんですよね。でも、共通なのがただひたすら『不安』を煽ること。良いニュースも悪いニュースも、よりたくさんのことを知ることで不安な気持ちを起こさせる。良いことだからと飛びついた結果、それが大勢になると迷惑になるパターン多いですよ。

今の世の中はきっと自分を抑える力、引きで見る力、視野を広くする意識が大切だと思います。

情報って拡大鏡みたいなもので、突き詰めすぎると自分の思った通りのことしか見なくなります。そうだよね!自分もそう思ってた!というのを繰り返したくなるものです。そうすると反対意見は敵になるし、反対意見を受け入れにくくなる。良いニュースだからと言ってそればかり見ていたら、人間の負の部分なんか見たくなくなるのは当たり前ですから。

だから視野を広げるには情報など突き詰めなくていいのです。まず、そうなったらどうしようか?と合理的なセルフディフェンスさえ考えておけば。集めて、知って、不安になるだけで、結局セルフディフェンスしていないから、何故だか知らんがあの時トイレットペーパーがなくなるような気になったのではないでしょうか?

一番怖いのは人間が勘違いしてパニックを起こすことです。

知ったところで何もできない、しないなら、知る必要はない。ここ数年でこんな考えに至った私です。





この記事が参加している募集

防災いまできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?