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備える

夏休みは暇な昼間をいかに充実させるかを考える。もしくは、わたしたち学生に苦痛を味わうために大人が用意した試練なのか。

夏は虫との闘いだと思っている。
痒い、うるさい、目障り。常に気にする必要がある。
なんで太ももの血を吸うのだ…。

わたしがスカートをたぐってボリボリと肌を掻きむしっていると、傍らでミシンで服を直してる母が、
「女の子なんだからそんなカッコウで。」
とため息とも捨て台詞ともとれる言い方をした。

家で内職か。古風だこと。
外で仕事をしてもいいのに。まだわたしのこと子供と思っているのだろうか。もうブラジャーもしてるから大人なのに。

そういえば母は結婚も出産も他の人とくらべたら随分と遅い。それは自分のやりたいことを優先した結果なんだろうか。それともいいひとに巡り会えなかったからなのだろうか。

母の言動を想うと白馬の王子様を追いもとめていたような形跡は見当たらない。
きっとリアリストなんだろう。わたしはこんなに冗談のわかる女なのに。
真逆である。反面教師なのかもしれない。

見られているようで恥ずかしい。

母のきっちりしすぎる感じがたまにしんどいと感じる時がある。
家で仕事をしているのだから、だらけてしまいそうだが、ご飯の支度の時間になるまでは、きっちり務め上げる。

そう、仕事道具もきっちりだ。

服の直し用の道具箱にはいろんな道具が綺麗に並んでいる。
レースはひとつひとつたとう紙に包まれ、ボタンはバラバラにならないように木端に結いている。手芸店でもこれほど綺麗に管理されていない。

あるときなおしを頼まれたコートから木のボタンをはずして、銀の磨きのかかった美しいボタンに取り替えているときがあった。
取り外されてその役割を終えた木のボタンを、後生大事にいつものように綺麗に木端に結い付けた。
それが軒先にぶら下げている干し柿のようで可愛かった。

裏まできっちりだ。

「それちょうだい!」とわたしはおねだりした。
どうせならあなたのコートにつけてあげると母が言ってきた。
てっきりボタンを交換するのだと思っていたが、母。木端ごとコートの胸に縫い付けた。
すこし変わったブローチをつけたようになり、とても気に入った。だって、干し柿をぶら下げたコートを着ている中学生なんていないだろうと思ったから。

それに、使わなくなったものも工夫と機転によってわたしの気分を変えてくれるものになるというこの発見には、小さな高揚感があった。
干し柿ボタンたちは、じわじわとわたしの心に変革をもらたらし、行動まで変化させた。

二千年以上前の中国人が、言ってたこんな話を思い出した。

「巨(おお)きな岩は力では割れない。長い時間を掛けて水が染み込んでいけは、無理をしなくても巨岩はいつか形を変えるものだ。」

こんな壮大な話と、私の小さな変革が重なり合ったようで、嬉しかった。

どうしようもないことばかり考えてしまう。
おバカね。

嗚呼、暇すぎて真夏に干し柿を思い出すなんて…。

わたしは夏休みという大人からの試練をまんまと無駄遣いしたようだ。苦痛どころか夏の昼下がりのように、ぼんやりとした記憶が蘇っただけの自分を苦笑するしかなかった。


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