Taddy de ナイト(価値観編~カミングアウトかもしれない~)

こんばんは!Taddy de ナイトです☆*

しばらくぶりに自分の価値観を整理したいと思います。今回は、宗教編です。

後で詳しく書きますが、なぜこの投稿をしようと思ったかというと大学生になるまで宗教の話を避けてきたからですね。宗教を信じている話をすると何となく避けられるという恐怖があって「宗教信じている人ってやばい」という声を度々聞く機会があったからです。一部の新興宗教の悪いところが出すぎた結果ですので、どうしようもないといえばどうしようもないのですが、もうすぐ社会人になるというタイミングで何かと避けられない話題になってくるので敢えてカミングアウトしておきます。まあこれを読んで自分と関わりたくなくなったら関わらなくて結構という感じですね(笑)。別に勧誘したいとかそういうことではないのでそこはご安心を(笑)。

大学の同期や一部の知り合いには話したことありますが、自分は在家日蓮宗浄風会という宗教団体の信者です。ほとんどの方が聞いたことない団体名だと思います(ご信者以外の方でもし知っている方がいれば教えてほしいです笑)。

自分が浄風会の信者であることを知ってほしい

宗教を信じることは悪いことではない

ということを伝えるのが目的です。

結構長くなりそうなので、

・なぜカミングアウトしようと思ったか?

・浄風会とはどういう団体?

・自分(家)と浄風会の関わり

・世間一般(国内)との常識のギャップ

・所属し続ける理由(次回)

・今後の関わり方(次回)

という流れで書いていこうと思います。注意していただきたいのは、あくまでも個人の認識と見解ですので団体の意見ではないということだけはよろしくお願いします。ご信者に見られたら色々(見解の相違など)言われる未来は見えているのですが言論の自由ですし、ネガティブなことを書くつもりもないのでまあ良いかという感じです(笑)。これを読んでどう思うかも自由ですが、それを他のSNS等で言及するのは勘弁してください。。。かなりのリスクを背負っているので

なぜカミングアウトしようと思ったか?

宗教団体に所属しているという事実だけで誹謗中傷を受けた経験がある

ことがきっかけです。それまで自分が信者であることに何も疑問も持っておらず、人に話すこともありませんでした。当時、確かに口でしっかり説明したことはありませんでしたが、思ってもないタイミング、気にしないだろうと思っていた人に言われただけあって、とてつもないショックを受けました。(この記憶は多分死ぬまで残ると思います。)そして自分たちが信じていることによって、社会に悪影響を与えているわけでもなければ信者でない人に対して望まない勧誘しているわけでもない(自分自身したことがない)、なぜそんなに言われなければならないのだろうと強く疑問に思いました。そう言ったのは1人だけではないと思いますが、自分という人格を根本的なところから作り上げている大きな宗教観そのものを否定されたことに対して撤回していただきたいという思いもこめて書いています。

また、今までなぜ隠していたのかと自分自身に対しても疑問に思うようになりました。悪いことをしているわけではないのに、なぜ信者以外の全ての人に隠し続けていたのか。恐らくそれは、今まで何となく感じてきた(環境によって感じさせられてきた)。

宗教ってなんか知らないけど怖い

という一方的な固定観念に縛られ続けてきたからだと思います。以前、中田敦彦のyoutube大学で宗教に関する授業を見て思ったのが(当人も言っていましたが)

宗教って何か怖いというより知らないという事実の方が怖い

ということです。何気ない発言が相手の根本的な価値観を傷つけ、人間関係などに大きな影響を与え、関係が悪化することが個人的には何よりも恐ろしいと思います。私自身、この事実を言えなかったのがつらかったこともあったのですが、隠すのも確かにおかしいことだと感じ始め、書いている次第です。多様性社会においてオープンにしていいことはオープンにしていきたいと思います。自分が今後どう生きていくかということを考えるにあたって宗教に対する価値観は大きな影響を与えます。

とはいえ現状、宗教そのものに恐れを抱いている方も多いと思うので、今回は自分のことを知っている方、仲良くしてくださっている方だけでもその誤解だけは解きたいというのが目的です。他の宗教団体に関しては詳しく存じないので、今回は自分が所属する宗教団体に限って書きたいと思います。必ずしもここで書いていることが正しいとも限らないと可能性もあるので、こういう考え方もあるという形で受け止めていただけると幸いです。

浄風会とはどういう団体?

教団には新しく入会した方向けに基本テキスト(在家日蓮宗浄風会教導統括部発行)があるのでそれを基に簡単ではありますが紹介します。もちろん自分には日蓮聖人(日蓮宗の信者の多くはそう呼んでいると思います)の教えを説くほどの学問も持っていません。実はこの本を読んだのも成人してからなのでいかに自分で何も考えてこなかったかを痛感します(笑)。

教団の正式名称は在家日蓮宗浄風会です。正式名称をベースに紹介させていただきます。

まず、在家という言葉に関してです。「どういうスタイルで信行生活をするか」ということを表していて、在家とは出家の反対語(つまり、出家僧形ではない信仰者)です。ここでは、在家信行に限定せず、普通の社会生活を営む人々というより広い概念を意味します。在家信行とは、信者自身の主体的な意志で、日蓮聖人の仏教を実践する修行のことです。浄風会は、社会人が主体となって教団を構成し、毎日の信仰生活を営んでいます。教義は、日蓮聖人以来の伝統教義をそのまま受け継いでいます。つまり、「教祖」と呼ばれる存在はいないということです。たしかに、信仰を導く師は存在しますし、信順もしますが、あくまで師が日蓮聖人の教えを誤りなく伝えてくださっている前提があってのことです。師も日蓮聖人の弟子・信者の一人であるので、浄風会の導師(分かりやすく言うと会長)は一般的な意味の「教祖」ではありません。

次に、日蓮宗に関してです。浄風会は、鎌倉時代の日蓮聖人(1222~1282,御聖人とも呼ぶ)が確立し、広められた教えを現代に伝える教団です。日蓮聖人が弘められた教えを「本化(ほんげ)仏教」ともいいます。「本化仏教」とは日蓮聖人によって末法に再現された、久遠(はるか大昔に久遠と呼ばれるこの世の根源の時代があったと説かれています)の教えのことです。「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるということは多くの方が知っていることだと思います。そこはイメージ通りで合っているかと思います。また、日蓮宗といっても色々な宗派があることは何となく知っているかと思いますが、客観性を持って言うと、日蓮聖人の教えの本筋がどこにあるのかという解釈の違いです。これ以上の言及は長くなるのと多大なる反発を食らうので割愛させていただきます。(笑)

そして、浄風会に関してです。説明を一歩間違えたら何かヤバい宗教団体じゃないかと思われてしまうので、書くのが恐れ多いのですが。。。あくまでも思想ですので、過剰反応は止めてください。自分たちが生きている時代は仏教史観でいう悪世末法の時代に該当しており、政治家や大企業の数々の不祥事、人間関係のもつれや人命軽視による残虐な事件等々が連日報道されているのも事実です。このような世の中で苦しむ人々に寄り添い、救いの法を示し、社会に隅々に浄らかな風を吹き込んで世の中全体の浄化を目指す、つまり菩薩行を行う人々によって構成される教団です。菩薩行とは、ただ自分の幸せを目指すだけでなく、世の中のすべての人々の救済を願い、ひいては世界平和の実現に向けて努力していく生き方のことです。組織という視点で述べれば

社会に生き、社会を活かす

これが使命です。

個人的に一番特徴的だと感じていることは

時代や社会の変化に合わせながら信仰を取り込んでいる

ところにあると思っています。教えはもちろん変わらず大切にしますが、何でも伝統だからといって慣習を残すのではなく、時代に即し、社会の在り方を踏まえたうえで自分たちは活動しています。

このように書いてはみたのですが、知らない言葉もたくさんあるでしょうし、分からないことだらけだと思います。恥ずかしながら自分も分かっていないことが多々あります。そして、何より誰もが納得できるような科学的根拠がないのが宗教の特徴であり、面白さであると思います(宗派が分かれている、複数の宗教が存在する要因もおそらくこれです)。自分たちが社会的に悪影響を与えるような団体ではないということだけご理解いただければ幸いです。

自分(家)と浄風会の関わり

母方の実家がずっとご信者の家系で自分で4代目だそうです(4代目ということに深い意味はありません・・・)。設立の年時から考えるとかなり古参な信者家系だということが分かります。すごい熱心な家系なので、(自覚はありませんが)その影響をある程度受けているのだと思います。自分は生まれたときから信者だったので、お看経(信仰・礼拝の対象に向かってお題目を口唱すること)も全く抵抗はありませんでした。たまに面倒になることもありますが(怒られる笑)、

ここ最近になってやっと宗教と自分というのを考えるようになって、

世間一般(国内)との常識のギャップ

これは私が主観的に感じてきたり、他人と話していて感じたギャップです。どちらが良いとか悪いとかという話ではないので、「へーそう思ってたんだ。」くらいで軽く受け止めてください(笑)。

・お看経って世間一般から見れば異常(笑)

冷静に考えたら、対象に対して数百人が同時に同じお題目を唱えているのって確かに違和感あるよなあと最近になって思うようになりました(笑)。ここ1~2年です(笑)。

・寺とか神社で参拝しない

そういう文化が自分にはなかったです。信仰すべき対象が明確な方はそうなるのではないかと思いますが、初詣だったり神社への参拝という概念が身につきませんでしたね。言い方は良くないですが、色々な神社・寺に参拝するって多神教であるから許されるんでしょうけど個人的には不思議です(笑)。

・信者って所属団体について詳しい

他の団体は分かりませんが、少なくとも意欲的に学ぶ姿勢を向けない限り、詳しくはならないと思います。かくいう自分も分かっているかと言われると分かっていない部分の方が多いのが現状なので、正直深堀りされても答えられないです。。。

・洗脳されているという自覚がない

カミングアウトを既にした知り合いたちには、周りにこういう類の人間がいないせいか良い意味ですごく珍しがられるし、聞かれることもあるのですが、洗脳されているという自覚は個人的にはないです。物心つく前からやってきたことなので、傍から見ればそうかもしれませんが、そういう教育を受けてきたことによって得られた人間性、価値観が非常にプラスに動いたので良かったと思っています。それについては次回書こうと思います。


簡単ですが、自分が宗教に対して思っていることはこんな感じです。これを読んで皆さんどう思うかは分かりませんが、どの方向に対しても不快を与えないように書いたつもりです。。。

次回に続きます。以上、Taddy de ナイトでした☆*

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